「コンテンツ」と「作品」の違いについて。

 エンタメ業界において、作品のことをコンテンツと呼ぶことが憚られる風潮がある。今はそのような批判も少なくなっているが、クリエイターが汗水垂らして生み出した作品を「コンテンツ」(情報の中身)と利便的に呼ぶことは、作り手に対する敬意が欠けているという批判があるためである。

 この批判は決して間違っているわけではない。なぜなら、作品には作者の魂がこもっていると僕も思うし、それを一言で「情報の中身」と言い切ってしまうことは失礼にあたるという理屈も筋が通っていると思うためだ。
 しかし、情報技術の発達によって大量のコンテンツが生成され、世の中に溢れかえっている今の現状において、作品をコンテンツ化しないことは難しい。そもそも、コンテンツとはパソコン用語であり、狭義的には電子的にやり取りされる情報には適用されない。しかし、インターネットの発達によって、ほぼ全てのエンタメがデジタルなしでは制作され得なくなった現在、紙の本や絵においても、広義的にコンテンツという呼ばれ方をされるようになった。

 情報の中身そのものがコンテンツであるとするならば、情報の中身だけでなく、著作者の人格や読者のリスペクトを含めたものとして「作品」があるのかもしれない。そう定義すれば、今の時代においても、「コンテンツ」と「作品」はそれぞれの言葉として両立し得る。
 いつの時代も作り手側のリスペクトを忘れてはいけない。しかし、コンテンツという言葉は今のデジタル社会において深く浸透している現状がある。それを含めて、丁寧な言葉選びをしようを僕は思った。

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