罪悪感の育て方
皆さんはどんな時に罪悪感を感じますか?
罪悪感はどこで覚えました?
子育てをするうえで、
避けては通れないご飯の前のおやつの話。
本能で動く子どもには、
『お腹が空いたら、食べる』
という行動がそれはそれは素直に起こるわけです。
食べたくて泣いてるだけの年齢ならば、ご飯の完成まで待たせるものが、言葉を話し、空腹を訴えはじめればそうはいきません。
『ご飯が食べられるなら、食べてもいいよ』
これほど破られることが前提の約束も珍しいものです。
子どもとしては食欲に従い、食べたいものを食べる。人としての欲求を満たしているだけのこと。
そこで食べるものはお菓子でも、お母さんの料理でもあまり優先順位はないわけで、その瞬間の空腹を満たすものを求めているはずです。
そして訪れる夕飯の時間。
…、…、…食べない。
というか、食べられない。
夕飯前のお菓子ほど、満足にお腹を満たすものは無いのです。
『なんでお母さんの作ったご飯が食べられないの!』
もう、約束はビリビリに破られます。
お菓子で満たされたお腹に、夕飯の侵入の余地はないようです。
子どもの気持ちも大いに分かりますが、妻の気持ちも優先したい。
本能に従い、叱られる。
こういう『やりたいこと(お菓子食べる)』と、『やってほしいこと(夕飯食べる)』にミスマッチが生まれると叱られ、本能が抑えられるのでしょうか。
やりたいことを見つけよう!
自分の道を進もう!
こんな言葉を最近よく目にしますが、本能と感情の狭間で自問自答しますし、議論が起こるのかもしれません。
食べたくて、食べたものが、お腹を満たす。
食べられなくて、食べなかったら、怒られる。
こうして、現実の理不尽が子どもの罪悪感を育てるのかもしれません。
共働きで、夕飯の時間が遅くなる家庭が増えるほど、本能と感情の狭間で矛盾を乗り越える子育てが強いられるのかもしれません。
出来るだけ早く、
子どもが夕飯を食べられる働き方を。
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