失われた時間
失くしてしまったものは、
いつまで探せば良いのだろう。
前に進むために、
一体何が出来るだろう。
「車で行くから置いていきなさい」と、
言われたのに乗るのが楽しくて、
「なんなら僕だけひとり別で行く!」と、
手にしたままの自転車のカギ。
その日を最後に、その姿を失ってしまった。
押し寄せる日々のやるべきことの中で、
自転車のカギを探すという行為の優先順位は低かった。
そうするうちに冬を迎え、主人を失った自転車は日に日にすっかりサビてしまっていた。
「自転車に乗りたいよ」
春の陽射しを浴びて訴える悲しげな顔に申し訳なく、毎日触れるスマートフォンの検索欄にようやく
「自転車 カギ 無くした」
と入力した。
そこに書かれていた、
カギの代わりになりそうな部品を挿しては
ガチャガチャしてみる。
動く気配はあるけれど、開くことは無かった。
壊すしかないか。
かろうじて車に積み、行き慣れたスーパーの自転車コーナーで無事カギを壊して頂けた。
それから毎日、息子は失われた時間を取り戻すように毎日自転車に乗っている。
気がつけば保育園だった弟も1年生となり、
交代で練習するようになっていた。
カギを失ってから、飲み込まれるように過ぎ去った当たり前の毎日は信じられないほど大きな変化を子供達に与えていた。
押し寄せる日々のやるべきことは、
親にとってのやるべきことか。
子供にとってのやるべきことか。
失ったカギを探し続けるよりも、
自転車に乗るための行動を。
失ったものを探す毎日よりも、
前に進むための一歩を。
前に進むことをためらう日々は、
貴重な日々を失っているのかもしれない。
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