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Me Too

こんにちは 翡翠です😊

先日 古い友達と長電話をしてたんです

これは長年不定期に行っていて、お互い直近の近況を報告し合ったり、時事ニュースやホットな話題をお互いの目線で語ったりするのですが

いまだと、ラブレターがどうだとか、大麻がなんだとか

どの話題も
「本当の事は当人にしか分からない」
というね、そない関心もないから気になる内容でもない
ただ、児童虐待ね
それも性的な事となると、他人事とは思えません

私もそういう過去があるのですが、普段の生活ではまったく関係なく暮らしていても、目や耳にすると呼び起こされる記憶があります

ここから先は、そういった部分について自身に起きた事を書いていこうと思います

感じた事をそのまま書くつもりなので、過激な表現をすると思います

フラッシュバックや何らかの症状がある方は御遠慮下さい

  




これは以前にも書いた事があるのですが
車椅子を使っていた頃、電車に乗ると、どの駅から乗ってどの駅で降りるというアナウンスがされていました
スロープを設置してもらい降りると、それを聞いた人に車椅子用のトイレに連れ込まれそうになってね

スッと近寄って背後から押されると、他の人からはただの介助者にしか見えない
これはヤバい
そう思ったのですが、ストッパーをかける事が出来ないくらい押す力というものは強く、後遺症で握力が弱く止める事も出来ない
普段使わない頭を数秒間でフル回転させ、タイヤのスポークに手を突っ込んで大騒ぎをするという事をしてね
それでやっと周りの人に気付いてもらえたのですが、折れたんじゃないかと思うくらい手が痛かったけど、それくらいしないと気付かれないほどに慣れた動きをする人達がいます

家まで後をつける人もいたりね
娘もいるから家を知られたくないし、その人が諦めるまで腕がパンパンになっても車椅子を漕ぎ続けなきゃいけなくて
息子が仕事帰りに迎えに来てくれるまで移動し続ける事が何回もありました

信じられないでしょ?
でもいるんです
想像した数よりもたくさんいると思っていい

自分勝手な目線で弱者だと思うからか、悲しい事だけど障がい者を狙った犯罪は後を絶たないのが現実です

そんな事をする人の見た目は普通
夜だと酔っ払ってた人もいましたが、ほとんどが日中でシラフ
特徴の無いスーツを着た、似顔絵なんて無理なくらいに普通でしかない人です

自分で自分の身が守れない事も嫌だったので
必死でリハビリをし、運良くいまはロフストランドクラッチという、最高にカッコいい杖を使って歩いているのですが、このクラッチがきっかけで大きなダメージを受ける事になってしまいました


小さい頃から大人から性的な目で見られる事が多く、いちばん古い記憶では、幼稚園生の頃に大好きな叔父が銭湯に連れて行ってくれた時

男風呂でやたらと私を見ている人がいてね
それに気付いた叔父が怒ってすぐに連れ帰り
「危ないしもう男風呂には入れたらあかん」
母にそう言いました

こんな小さい子供に妙な気を起こす人はいないから気のせいだと母は言っていたのですが
目は口ほどに物を言う
そんな言葉もまだ知らない頃に大人の男性の視線が怖い時があると感じていて、ある程度大きくなるまでは近所に住んでいる人にも女性にしか挨拶が出来ませんでした

「親に言うたら捨てられんで」
「友達もいーひんようになるしな」

小学生低学年の頃はこんなつまらないセリフの数々で脅された事もあり、親にも誰にも言えず、知らない人に目を付けられた自分が悪いんだと思わされていました

女の子らしい格好をしていたワケでもなく、ショートヘアに服は兄のお下がり
海にも行ってないのに日焼けで真っ黒だったような感じです

これも見るからに怪しい感じもしないごく普通の人だったけど、そんな人に共通するのは
後頭部がザワっとする「あの視線」で見てくる事

あの頃はよく分かりませんでしたが、いま思い返してみると年齢は20代から50代でしょうか
大人の男性はこんな人ばかりなんだと思っていました

大きくなる毎にその手口も巧妙になっていってね

ひとりで家の前の道に絵を描いて遊んでいる時
急に知らない人が怒鳴りながら私の腕を引っ張りました
抵抗しても敵うはずもなく、引き摺られながら近くの駐車場の隅へと連れて行かれました

その間もずっと怒鳴っていたから、何か悪い事でもしてたのかと
「ごめんなさい!もうしません!」
謝っても謝ってもすごく怒ってて、それがめちゃくちゃ怖くてね

泣き出すと
「親と知り合いだから今回だけは黙っててやる」
急に優しくなって頭を撫で、それから全身を触られたのですが、声も手も体臭も何もかもが気持ち悪くてね
吐いたら髪を掴んで地面に叩きつけられました

道に絵を描くと知らない人からこんな事をされるのなら、親が知ったら何をされるんだろう
もう道に絵は描いちゃいけない
これは絶対に隠さなきゃいけない
そう思いました

小学高学年になると身長が150cmを超え、足も早かったので「あの視線」をして近寄る人から逃げる事が出来るようになりました
そうこうしていると、趣味じゃなくなったのか
見た顔の変態に遭遇する率がどんどん減っていき

やっと普通に遊べる
そう思った数ヶ月後、また別の人達が現れました

あの人達の特別なネットワークがあるんじゃないか
子供ながらにそう感じるくらい新しい顔に変わったのですが
担任の先生も2年に1回変わるしな
人事異動のように顔ぶれが変わる事が普通なんだと思っていました

ただ、その頃には周りの友達も痴漢や露出にあったりといった話を耳にするようになっていたので、自分が悪くなくてもそういう事をする人がいるんだとようやく気付いた時期でもあります
親にも言いやすい環境になってはいましたが、うちの親は

「お前は目立つから」
と、どっちの味方なんだか分からない事を言ってね

だったらもっと目立ってやろうじゃないか

そこから持ち前の反骨精神が急成長を遂げる事となり、これが功を奏し、見るからに弱そうな変態には反撃するようになったのですが
少しでも本能的にヤバいと感じた人には、持ち物を捨てて全力疾走で逃げるという事を徹底していました

こうする事で、自分の周りを自分で片付けていくような気持ちになれました

そして、中学生
他の要因も数多くあり、見た目も中身もわかりやすい不良になると、近寄ってくる人はいなくなりました

怖いもの知らずになっていたので、ここぞとばかりに過去に付き纏っていた人を見かけると追いかけ倒すという事をしていたのですが、ふと気付くと今度は同年代から「あの視線」を感じるようになってね

それも理解はしてたんです
異性が気になるお年頃だし、思春期だし
それは当たり前の事だと頭では分かっていたのですが、幼少期のあの気持ち悪い感覚や声や臭いが頭から消えなくてね
そんな目で見る同年代には、先手必勝といわんばかりの態度をとっていました

ちょこちょこお世話になり出した警察官に山ほどある自分の情報を流し、マークしていた人は余罪もあり実際に捕まったようですが、そんなの目の前の雑草をひとつ抜くようなもの

自分が捕まっておきながら世の中にいかに変態が溢れているかを熱弁していたのですが、その警察ですら取り調べ室でよからぬ事をしようとする人もいてね

あいつボタン外してきた
警察署まで迎えに来てくれた親に言うと

「警察がそんなんする訳ない」
「勘違いやろ」
仮に勘違いだったとしても不快に感じた時点でその行為は不適切だし、ボタンを外す理由がまずないのにも関わらず、そう言いきれる親が少し羨ましくもありました

その後も

「知り合いにモデル事務所をしてる人がいる。興味があるなら紹介するけど、それには写真が必要」
1ミリも興味が無いと断ると、道に迷ったフリをして人気のない方向に行くタクシーの運転手

「石膏で汚れる"かも"しれんから」
下半身の装具を作るのに、Tシャツは着たままでいいけどブラだけは外せ、と意味が分からない説得を一生懸命にしてきた装具技師

コンビニで、あからさまに「あの視線」を送りながら、ひたすら無言で至近距離を保とうとする人もいました

「そこのお姉ちゃん!えぇカラダしてんなぁ〜!
うちで働かへんか?」
「おっ?!こっちのお姉ちゃんえらいべっぴんやがな〜!うちで働かへんか?」
手当り次第に通りかかる女性に声を掛けるソープのおじさんの方がずっと正直で、ある種の好感さえ覚えます

こんなのはほんの一例に過ぎないのですが、まだ笑える話だけを挙げたけど、実際にやられるとかなり気持ち悪い

たくさん嫌な気持ちになってきたけれど、知らない人だったからまだ良かったんだ
あれはマシな事だったんだ

そう思うような事が起きました

事情があって親が私の家で一緒に住んでいた時期がありました
親だから私の下着を何処に置こうが気にした事もありません
寝ている時に何やら近くでボソボソと父の声がし
薄ら目を開けると
傍らに置いていた私の下着に、気持ちの悪い呪文のような感想を小声で述べていていました
父はひとしきりに呪文を唱えた後
あろう事か「あの視線」をしながら近寄ってきました

殺すぞ
目を閉じながら一言呟くと、父はスっと立ち上がり咳払いをしながら仕事に出かけました

この人はもう親ではない
そう思った時に、前にも似た 記憶から消していた事を思い出しました

兄です

6年生の時、夜寝ていると身体が動いたような気がし目を開けると
暗闇で兄が「あの視線」をしながらニヤリとした口元で私の胸を触っていました

私は当時、兄が大好きだったから忘れなきゃいけないと強く思い、その翌朝から何事もなかったようにし、そうして記憶から長年消していた事を思い出してしまいました

仲の良い家族ではなかったのが唯一の救いで
いまやもう、家族に当て嵌めると父と兄というだけの存在
表面的な役割は果たしますが、そこには家族という気持ちはもう見つけることができません

血の繋がった娘や妹にもそんな気になるのなら、他人だと尚更か

そんな、一見どこか悟ったようでいても
より武装をするような気持ちで心は疲弊していました

気持ちをそのままに年月を重ねていたある日

いつものようにクラッチを使って歩いていると、誰かの足が引っかかって手から離れてしまった事がありました
それを見ていた人が駆け寄って拾い、手渡してくれたので

「ご親切にありがとうございます」
御礼を述べると、その人はそれ以来ストーカーになりました

あまり詳しくは書けないのですが
私がまたクラッチを落とした時には自分が渡さなきゃいない
そんな使命感を感じたそうです

でも別の人が拾った事があったそうで、同じように御礼を言う私に

「誰でも良かったの?」
そう思ったんだそうです

もしかしたら自分を覚えていて、また目の前に現れたらあの時の御礼を言ってくれるかもしれない

そう思いながら仕事場に現れたそうですが、初対面の挨拶をする私に
「あんなに優しくしてやった俺を覚えてないなら死ねばいい」

それ以降は何処にいても視界に入るようになり、1人で出歩く事も出来ず仕事にも行けない
日常生活がガラリと変わりました

そして、ある春の夜に暴行を受けました

これも詳細は書けませんが、その人が拾ったとされるクラッチはすぐさま折られ、なんとか身を守る事は出来たのですが、「あの視線」ではない狂気を纏った目や、同じ人間とは思えないような唸り声を
未だ忘れる事が出来ません

それを何かの拍子に思い出すと、癒えた筈の傷が痛み出し、過去の傷も繰り返し心を蝕んでいます

もう前に進めないんじゃないか
私の何がいけなかったんだろう
幼い頃からこんな事ばかり
生きていたらまた起きるかもしれない
もう次は無理だ
消えてしまいたい

靴を履くと足が震え、玄関から出る事が出来なくて食べる事も眠る事も出来ず、壊れてしまいそうでした

この時 私の心に寄り添ってくれたのは大好きな彼

これまでいろんな事があって
心の奥底から男性を信頼できない部分があり
思った事は口にしても、いざという時に自分を守る為には本当の気持ちほど口には出さずにいた方がいいと思っていました

現に、消えてしまいたいなんて思ったのは1度だけだと彼にも言いましたが、正直に言うと何度もあります

どうにかして外に出よう
吐いても何か口にしよう
少しでも元に戻ろう
そうもがいているのに、もうひとつの人格のような熱を帯びない自分がチラつき、何度も何度も消えたいと思っていました

でも
彼に送ったあのメッセージが最後になるのは嫌だ

昔もいまも自分でも不思議なくらい彼だけはずっと変わらず大好きで
そう思いながら1日、また1日とその日だけを生きる
それしか出来ませんでした

これを書くにあたり当時のメッセージを読み返してみたのですが、我ながらどうかしてたとしか思えない昼夜を問わない不安定な自分の言葉にも、いつも彼はずっと彼でね

専門家のカウンセリングも受けましたが、私には彼と話しているのがいちばんのカウンセリングとなりだんだんと考え方に変化が現れるようになりました

私が居なくなったら彼がひとりになってしまう
それだけはダメだ

私は被害者なんだ
ずっと被害者だったんだ
こんなに闘ってきた自分を被害者と思われるのが嫌だったんだ

元に戻るなんて出来ない
忘れる事も無理だけど
その無理な事も何もかも全部で私なんだ

そう思うと、息を吐く毎に新しい自分に入れ替わるような感覚がありました

些細なことでフラッシュバックがおきるし、いまも書きながら手が震えたり吐き気もします
どう書こうか考えるだけで心拍数が上がり、息がしにくくなったりもします

それでもいい

書く事で変わる何かが必ずある

起きた事は過ぎた事

それをどう活かすかを決めるのは私

胸を張って言います

私は被害者でした


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