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無知でちっぽけな僕にできること。

皆さんこんばんは。
書き始めたのが夜の12時を回るオフ前。

明日オフだからいいかという気持ちと、ちゃんと寝なきゃなと思う気持ちが交差する。

でも、今日はまだ未熟で、何もわからない無知な僕なりに、頭が冴え渡り、整理をしないといけないと思うので、とりあえずひたすら書き殴ることにする。

今回は正直僕が言うべきことなのか。
ものすごく悩みました。

僕自身J3の名の知られてない選手。

言えるほどのものではないことや、当事者でもない部分もあり、言える立場ではないことを知っているが、何か考えるきっかけになるといいなとの思いで書いていきます。

最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
では、お付き合いください。

無知でちっぽけな僕にできること。

今回は『無知でちっぽけな僕にできること。』というタイトルをつけさせて頂きました。

ここ数日でものすごく考えさせられることがあり、どんだけ無知だったんだろう。知ったつもりでいたんだろう。

そして、自分が小さかったんだろうと言うことを思い知らされました。

そんな僕が小さな声かもしれませんが、皆さんの元に思いをお届けし、何か少しでも考えるきっかけになって頂けたらこれ以上ない喜びです。

ということで早速内容に入りますが、入る前に40歳からJリーガーになり、43歳から格闘家になった安彦さんから、改めて考える問いを頂きました。

そちらから紹介します。

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映画『MINAMATA』を見た感想をTwitterに載せていて、その中で僕に問いてくれた内容です。
詳しくはこちらをご覧ください。

映画『MINAMATA』

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皆さんはご存知かと思いますが、1971年から3年間水俣に暮らした報道写真家のW.ユージン・スミスさんの写真集を原案にし、作られた映画です。

若い人たちには、歴史の教科書で読んだことあるかもしれませんが、水俣病とは、第二水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと括られ四代公害病と言われています。

映画ではユージンが報道写真家として、輝かしい実績を残した中で戦争などで心に深い痛みも抱えながら、水俣の人々に会い、また、情熱を持った報道写真家として立ち上がる再生していく過程を描いています。

その過程には自分の家族にも大きな影響がある中で、水俣の皆さんが立ち向かう姿、もちろん今でも苦しみ戦い続けている皆さんが映し出され、その勇敢な姿に魅了され、1人の声は小さいかもしれないが、立ち向かう勇気をくれる映画となっています。

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だからこそ、僕もこのnoteを書くことを決めました。

以前熊本地震のことを呟いた時に、知らないくせに安易に発信するなと言われたりしたことがあるので、本当に伝えてもいいものなのかすごい悩みました。

でも、今こうして熊本にいるということ。
スポーツ界にいるということには意味があるし、それを使って伝えることが僕の使命だと思っているので、この場を借りて書かせて頂きたいと思います。

改めて、今でも多くの人が苦しみ、また熊本だけでなく、福島の原発事故や、世界でも公害が起こる中で戦っている皆さんにお見舞い申し上げるとともに、敬意を表します。

MINAMATAを見て感じたこと。

正直言葉を失いました。
なんと言葉にすればわかりませんでした。

正直今でも何を伝えればいいのかわかりません。

色んな活動の中で環境問題にも取り組んでいきますとか言っていた自分が恥ずかしいと思うほど、無知で知ったつもりでいたのかということに気付かされました。

だからといって言わないのは違う。
もしかしたら反発もあるかもしれない。
でも、勝手ながら僕の考えを伝えさせてもらえたらと思います。

僕自身、会社の経営や法人の経営も行っています。

出来るだけみんながハッピーに、ポジティブにWINを感じてもらえなければ、未来永劫的に存在していかないと思います。

直近で見れば、良いことかもしれない。でも長い目で見たらどうか。
こっちから見た時はいいかもしれない。でも逆から見たらどうか。

そんな不安も抱えながら、日々試行錯誤して、成長し、夢を追いかける。

僕はきっとこれからもそういう人生なんだと思います。

水俣病は、チッソ株式会社が原因を作ったと言われていますが、今でも熊本の水俣では主要な企業となっているだけに、片一方から見れば、人口が増えたり、地域のまちの発展にも貢献していると捉えることができます。

しかし、ここで考えないといけないのが、それをすることで本当に喜んでもらえるのかということ。

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実際に人々が住むようになり、雇用を生み出す一見いいように見えるが、15年前から分かりきった問題を明るみにせず、そのままやり続け問題になってしまったということは変えられない事実がある。

ここでわかるのは私利私欲な思いやお金は人を変えてしまうということ。

きっと最初はこの水俣を元気にという思いでやったこともあるでしょう。

それがいつしか稼ぐことが目的になったり、1%の人の利益のために99%の人を犠牲にしてしまうこともあります。

それを1番感じさせられました。
だからこそ、本当の意味で、本質的な課題解決を目指さなければきっと、お金に目が眩み、欲が勝り、人ではなくなってしまう気がします。

水俣市へ

先日水俣市の水俣病資料館に行ってきました。
決して忘れてはならない日本の歴史を知ることができました。

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実はこの文章も書いては消して、書いては消しての繰り返し。
時間はかかるかもしれませんがなんとか言葉にしてみます。

水俣で感じたのは、当たり前というものの恐ろしさ。

前々から〝当たり前の反対は感謝〟ということを言っていますが、当たり前になってしまうことで何か忘れてしまったり、感謝ができなくなってしまったりしてしまいます。

僕自身常に当たり前に感謝できるように意識していますがそれでも忘れてしまうこともある。

今周りにいる人は?
周りにあるものは?
支えてくれて、応援してくれている人は?

失って気がつくのでは遅すぎる。

ここ最近は本当に世の中が便利になりました。
僕が生まれて26年の間でも多くの変化がありました。

水俣病では便利さが故の弊害や、豊さが故の弊害がありました。

ただ、その弊害があることがわかっている中でもそのまま利益のために走ってしまったことが問題で、最初から見えていたのなら、欲ではなく理性で判断できるようにできていれば。

今回のことが今後起こらないためにもそこは教訓として持たなければいけないことだと思います。

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また、水俣病では感染はないのにも関わらず、いじめや煙たがられることが多くあったみたいです。

僕自身東日本大震災を経験し、福島では原発事故がありました。

確かにそれにより、福島の農作物などが福島とついているだけで売れないなどのことを耳にしました。

現在J3の福島ユナイテッドFCはチームに農業部がありますが

スポーツ=健康

ということをスポーツが伝えているとても良い事例だと思います。

僕としても何ができるのか、スポーツの力が使えることはないだろうか。
それをこの後に描いていきたいと思います。

Jリーガーの夢の果て。

例えばわかりやすくいうと、僕たちJリーガーも本当はサッカーが好きで始め、それの延長線上できたはずなのに、結果を追い求められ、お金を吊るされ、気づいたら年俸がどうの、勝利給がどうのと話が出ます。

あれだけ好きで始めて、やっていたサッカーで、あれだけ夢を見てきたサッカー選手の夢の果てが

『いい車乗っていい家に住む。』

これでいいのでしょうか?

僕はずっと言っていますが、サッカーで稼ごうと思っていません。
むしろお金を払ってもいいぐらいJリーグがステキな魅力的な世界だから飛び込みました。

そして、今でもプレーもさせてもらっています。

これだけ幸せな事はありません。

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だからこそサッカー界に、スポーツ界に恩返しがしたい。

そして、夢をお金や、周りの声、環境で諦めてきた人を少しでも支える、後押しできる『夢を追い続けられる環境をつくる』ことを夢に掲げ、浅川隼人を全力で表現しています。

サッカー選手はサッカーやってろよという声は全く気にならないほど、サッカー選手を手段として、夢を持ってもらうきっかけになってもらえるようにプレーで見せたり、それ以外の活動も全力で楽しみながら活動しています。

夢があるからこそ頑張れる。
僕がそうだからこそ、そんな人たちが諦めてしまうかもしれないことを潰し、夢を追い続けられる環境をつくれたらと本気で思っています。

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これは僕が自分の人生をかけて取り組む夢だと強く思っています。

だからこそ、現役のうちに使えるものは使い、会える人に会い、無駄にする時間がないほど毎日が充実しています。

Jリーガーとして誰もが『キングカズ』さんには敵わないという事。

現役は永遠ではないという事に目を背けず立ち向かっていきたいと思います。

だからこそ僕は『浅川隼人』という選手像を確立することで、いつしか名前を刻めたらと思います。

これは逃げでもなんでもない。

僕にとっては力のない僕にしかない武器を最大限に活かした攻めであると思います。

スポーツとは

元々の語源はラテン語のdeportare(デポルターレ)で港を離れ、非日常を味わう遊び。からきています。

では、現状日本ではどうなのか。

日本のスポーツ=体育・教育

という認識が強いのではないでしょうか?

子供の頃近所で楽しんでやっていたスポーツが、気がついたら評価され、我慢が美徳だと教えられ、厳しい訓練に耐えるようになっているのでないでしょうか?

そういう子供たちがどうなるか知ってますか?

スポーツが嫌いになり、スポーツと関わらなくなる。
あれだけ楽しかったのに、好きだったのに、そこで嫌いになってしまう子供たちが多くいます。

食事もそうですね。
本来は楽しむべきものですが、居残りで食べさせられ、昼休みもそのまま食べさせられる。

そういう子供が大人になって食を楽しめるでしょうか?

僕はなかなか楽しむ事はできないのではないかと思います。

僕自身中高の保健体育の先生の免許を持っていますが、高校の教育実習で、学生にとっては退屈で、寝る子が多いかもしれない保健の授業で、面白おかしく、楽しい時間で終えた後に『先生になったらこんな授業できないから』と言われた一言で学校という機関を通じて子供たちと関わる事はできないだろうと感じました。

そう。
僕は何事も楽しんでもらいたい。

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だから僕がサッカーを教える時も技術よりもまずは楽しむことを伝えています。

なぜなら、そうやってきた僕が今最高に幸せで毎日が楽しくサッカーができているからです。

窮屈だった学校を飛び出し、外に出ると好きに自分を表現できるフィールドがあった。

それが僕にとってはサッカーでした。

評価として、1つが5で他が1の子よりもオール3がいいとされる学校教育ではなく、サッカーのフィールドでは、1つの5がある個性のある子たちが、他の子の1を消すために助け合う。

そして、1つのボールをみんなで繋いでゴールをする。

それが僕の大好きなサッカーの魅力です。

本心は細部に宿る。

インターネットが普及し、多くの人が情報をキャッチできるようになりました。

そうすると大体どんなものに価値があるのかを知ることができるようになりました。

そしてSNSが発達し、自分のことを世の中に発信できるようになりました。

するとどうなったか。

本心で思うことでなくても、かっこよく見せることも、思っているように思わせることもできるようになってきました。

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しかし、徐々にその発信は本心の叫びなのかどうなのかを気づいてきました。

なぜなら、自分の普段の何気ない言動も、行動もすぐネットに載ってしまう世の中になったからです。

あいつあんな威勢のいい事ばっか言うけど、口だけじゃんと知ることができるようになったのです。

だからもう隠し事ができないと思った方がいいです。

過去に起こった事全て自分がしたこと。
それを理解した上でこれからどうするのかを決め行動していかないといけないのです。

本心は細部に宿る。

だからこそ本当に成し遂げたいものなのか、中途半端な思いなのか。
蓋を開けたらすぐわかります。

勢いでなれた人はきっと長く続かない。
心の底から思った事があればきっと些細な事にもそれが出ると思います。

僕もまだまだですが、細部まで神経を巡らせて行動していきたいと思います。

現状

という事で先ほども書きましたが、自分を表現して楽しむということがどれだけ大事なことなのか。

僕はそれこそが今の社会課題を解決する一つのツールになるのではないかと思います。

新型コロナウイルスの影響で、本当の意味で必要な事が浮き彫りに出たと思います。

例えば健康。

心身共に健康でいる事の重要性がさらに加速した気がします。

そして人口。

ヨーロッパなど世界を見渡せばこのコロナ後に人口が増えたようです。
日本では世界で唯一人口の減少が見られました。

3年前の4分の1の出生減少が見られたようです。
悲観的な思考が多い日本人は、コロナ禍で将来を考え、子供を作ることも悲観的に考えてしまっているのかもしれません。

これは日本にとってとてつもなく大きな問題です。

単純に子供の人数が1/4になれば、施設やチームも1/4しかいりません。

今後もっと子供たちが減っていくとどうなるのでしょうか?
少子高齢化が進み、未来を切り開いていく子供たちが減ることで日本の経済も成長も低下していきます。

だからこそ、今後どんなことが必要になってくるのか。
スポーツとして何ができるのか。

本当の意味で価値のあるものが残る世界になってきた世の中で、スポーツはそんな中どんな力を発揮できるのでしょうか?

ネットフリックスと同じ土俵で戦っている今。
見るスポーツ、やるスポーツが制限されてきた中で何ができるのでしょうか?

スポーツは楽しむもの

まずは大前提としてスポーツ=体育のイメージではなく、

スポーツは楽しむもの

ということを理解しなければいけません。

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今ままでの風潮が文化があり、なかなか難しいかもしれませんが、どれだけ日常の中にスポーツを落とし込めるかだと思います。

海外は、どれだけスポーツに価値があるものなのかを知っているからこそ、日常に落とし込んでいます。

近くでスポーツができる公園があったり、日頃の楽しみでスタジアムに行く。

そんな身近にスポーツがあります。

日本だとまだまだ全然落とし込めていません。
なぜなら、1番スポーツをやる時間が体育で教育。

我慢を超えた先、うまい人が評価される世界。

そのうまい人がどんどん削られ最後に行くのがトップ選手。

その夢の果てがいい車乗っていい家住むだけだとあまりにも虚しすぎます。

オリンピックでは、スケボーがかなり印象に残りました。

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いい得点だろうが悪い得点だろうが、みんなで乗り越えて、讃えあうあの瞬間が。

ここで改めて考えさせられるのではないでしょうか?

単純にトップだけを目指すだけでなく、自分を最大限に表現する。
あの瞬間にスポーツの原点が詰まっている気がしました。

スポーツを使った課題解決

ということで、長々と書いてしまいましたが、今まで話した現状や課題に対してスポーツは何ができるのか。

ない頭をフル回転させて考えみようと思います。

現状のところで伝えた健康ということの課題解決することがスポーツにはできるのではないかなと思います。

それは今ままでの〝体育〟という価値観ではなく〝スポーツ〟というものだからこそ出来ることだと思います。

例えば、運動不足により罹ってしまう生活週間病。
罹ってしまったとしてもいきなり運動をする事は難しい。

でも、楽しいことなら時間を忘れて向き合えるのではないでしょうか?

例えば10キロ走れと言われたら難しい人でも、小さい頃好きだったサッカーをやろうとと言われてやっていたら、気がついたら10キロなんて走っています。

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子供の頃の楽しい記憶を甦らせ、スポーツを行う事により、気がついた時には体重も減り、運動が習慣になっています。

それをする為には運動が出来る施設を作らなければいけません。

僕が昔掲げていた親子3代が集まれる場所。
グラウンドがあって、食堂があって、ジムがある。

子供のスポーツをきっかけにコミュニティが生まれ、おじいちゃんおばあちゃんまで運動する世界になるかもしれない。

ただ、無料開放するだけではダメ。
無料開放はしながらもしっかり収益を上げていきマネタイズする必要がある。

スポーツが夢の搾取ではいけません。
スポーツ好きなんだから無償でいいでしょとボランティアという気持ちの搾取でもいけません。

それこそ市や県がこの町に住みスポーツをする為ならということで、個人に少しでも金銭的な補助ができればそのお金を使って運動する。

きっと、そんな町があれば、住む人も増え、住民税や日ごろ落とすお金で、市や県はお金が返ってくる。

しっかりとお金も気持ちも回る仕組みを作らないといけません。

公園でボール遊びがダメな場所も増えてきましたが、海外ではボール一つで大人から子供までが楽しむことは日常茶飯事です。

フェンスの音が気になるので有れば、音が比較的しないような素材に変えるなりする。

迷惑をかけるなではなく、自分だって迷惑をかける事はある。だからこそそれを支えられる大人になる。

そんな心の豊かさを持てる人が増えていく為にも、体育ではないスポーツ(特にチームスポーツ)というマインドが必要になってくるのではないかと思います。

僕自身全てスポーツのおかげで成長してきたと言っても過言ではない。
疲れたではなく余暇でやるスポーツの楽しさを理解する。

僕がサッカーをお金で見ていたら、仕事で見ていたら多分とっくに辞めています。

今でも趣味の延長線上にサッカーがあると思えているから毎日が楽しい。

僕はそれが自分の強みだと思っています。

地方自治体とコラボしていきながら地域をスポーツで健康にする。

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そんなところに地域のスポーツチームがあることで、やるスポーツだけでなく、見るスポーツも生まれ、応援することの楽しさや、みんなで勝ち取ることの嬉しさを感じることができるのではないかと思います。

スポーツチームには地域それぞれの色を出して、地域にコミットする。

それがチームの意義であり、ただ単純に日本一を目指すのではなく、何のためにそのチームがあるのか。

その地域の人は何をそのチームに、また選手に求めているのかを聞きながら、活動していく。

その結果強くなればより多くの人に注目される。
結果だけを追い求めていればそのうち衰退していくと僕は思います。

しっかりと地域に何を求められ、何を返せるのか。
そして、みんながWINになるような仕組みを作っていかなければいけません。

それこそ私利私欲でチームを作るのではなく、どれだけ支えてもらえている人に返せるチームになるのか。

返し方は色々だと思いますが、そのプレーモデルや理念や大義を明確に持ち言語化していかなければ、行き当たりばったりのチームになってしまいます。

Jリーグにはその可能性があると思います。

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浅川隼人として何が出来るか。

ということで、最後にそんな僕に一体何ができるのかを考えていきたいと思います。

まず僕は〝夢を追い続けられる環境をつくる〟という夢を掲げています。

その原体験としては
大学の頃、Jリーガーになる能力がある選手が年棒がもらえないから、Jリーガーを諦める選手を見た経験と、セブ島でゴミ山やスラム街で生活している子供達に夢は?と尋ねても何も返ってこなかった時、『夢を与える』というおこがましさを感じた経験からです。

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このように夢をお金で諦めてしまったり、環境や周りの声で諦めずに夢を終える環境があれば、夢を持ってもらうきっかけになれればと思ったのです。

そのためにサッカー選手であり、一般社団法人や株式会社の代表であるのです。

サッカー選手としては0円でありながら、他で収入源をつくることで好きなサッカーを続けられる環境を自ら作りました。

1年目に1試合も出てない、アマチュア選手の僕でもできたのであれば、必ず皆さんでもできるはず。

あいつだったからできたではなく、あいつもできたなら俺もといった再現性を持たす。

そう全ての軸足には〝夢を追い続けられる環境をつくる〟ということで置きながら、振り足としていろんな活動があります。

それを念頭に置いた上で何ができるか。

これを考えていかなければいけません。

もちろん今までの延長線にやれることも出てくると思いますが、その辺も紐解きながら考えていきたいと思います。

やはり僕自身上で説明したスポーツを使った課題解決をしていかなければいけないと思っています。

スポーツが日常にありふれれば、心も体も健康になっていく。
必ず今後の日本、いや世界で〝健康〟は重要になってきます。

それプラスで僕は何ができるか。

やはり、〝夢〟がキーワードになってきます。

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夢を追うことで、充実していたあの日。
夢を追うことで、未来がワクワクしたあの日。
夢を追うことで、楽しい時間が一瞬ですぎてしまったあの日。
悔しかった、挫折した経験でさえも自分を奮い立たせてくれた夢。

皆さんにとって夢はどういう存在でしたでしょうか?

どうせ夢なんて叶わないそう思っていませんか?

小さい頃、なんにでもなれると思っていたことはありませんか?

ただ、大人になるにつれ現実を見て、諦めた夢はありませんか?

僕一人の力では全員を夢中にすることはできないかもしれない。
でも皆さんが周りを、自分の手の届く範囲を巻き込むことでみんなが夢を語り、追い続け、叶えていく世界が実現するのではないでしょうか?

それこそ1963年にキング牧師が演説をした

『I Have a Dream』

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と全員が言い、それを全員が支える世界が見られるのではないでしょうか?

僕が死ぬまでに見られるかわからない。
死んだ後かもしれない。

いつになっても良いから「浅川隼人がいたから夢を追い続けられているよありがとう」と言われたら本望です。

そんな世界の実現のために一緒の船に乗ってくれる人が一人でも増えたら嬉しく思います。

その世界を実現するために、できるだけ他にも転用可能な、他の人でも再現可能なプロジェクトを進めていきます。

選手としてもJリーガーの最底辺からどこまでいけて、どんな選手になれるのか。

一般社団法人Ultrasでは夢をより身近に落とし込み、夢を追えるための下支えになれるように。

誠心誠意取り組んでいきます。

ぜひ皆さん共に夢を追いかけませんか?

浅川隼人

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