#2【ビバーク体験を綴る】
見にきてくださった皆様、ありがとうございます。約1年ぶりの投稿になってしまいました…😔
今日はどうしてもnoteに記録したいことがありまして、こうして書いております。
私の趣味の1つは登山をすることなのですが、11月に登った山にて起こった出来事を記録として残しておこうと思います。
皆さんは"ビバーク"という言葉をご存知でしょうか。簡単にいうと、ビバークとは山中で十分な装備なく夜を明かす行為を指します。私は母と共に、とある山でこのビバークというものを経験しました。
もちろん初めての経験であったので、自分なりにその時の様子を詳細にメモしておこうと思い、そのメモを参考にしつつnoteに書いてみたいと思います。登山が趣味の方や、登山未経験の方、お時間があればぜひお付き合いください。
まずはざっくりとした当日の行程をお伝えします。
・9時5分…登山開始
・14時20分頃…頂上着+軽く昼食をとる(おにぎり2つのうち半分ほどしか食べず。)
・14時50分頃…下山開始
・16時50分頃…日が一気に落ち始め、沢で立ち往生。
・17時…ビバークを決意。
と、このような感じでした。
ビバークを決意した理由は、日が落ちて薄暗い中そのまま進むと滑落の恐れが一気に高まり、下山できるのか不明であったためです。私は日没し始めた瞬間はパニックになり、このまま進んでしまおうと一緒にいた母に伝えましたが、母は冷静にビバークを決断してくれました。
幸いにも、たまたま立ち往生した場所が沢の近くの比較的ひらけた場所であり、岩や木はごろころありましたが他の場所に比べたら断然平に近い場所。近くには標識看板とルートを示すピンクリボンがあったため、道迷いをしていないという安心感はありました。麓から1時間ちょっとの場所にいましたし、この近くにいれば、必ず朝になったら下山可能であると信じることができました。ただ、一つだけ悪いことにその場所が携帯電話の電波が入らない、圏外であったことでした。ただしそれが後に奇跡を起こすことになるのです。
〜ビバーク中の様子〜
座っては動き、座っては動きを繰り返し、寒さを凌ぐ、これがビバーク中行っていたことの中で最も大切なことでした。
食料で残っていたのは飴4つ、おにぎり1個半と羊羹。母と羊羹を半分こしたり、身を寄せ合って温め合うなどしていました。飲み物は下山途中に井戸で汲んだペットボトル1本分のお水、母は朝から持っていたお茶の残り(半分ほど)でした。
私がたまたま、ネックウォーマーとニット帽を持参しており、私は厚着でしたので薄着だった母にそれらを渡し、一晩中母のケータイでライトをつけていました。私はフル充電済みのモバイルバッテリーとiPhoneを持っていましたが、母の携帯に比べ充電が減りやすいため滅多なことでは使わないようにしました。
・22時30分
圏外だったケータイが奇跡的に僅かな電波(立っていた電波はわずか1本のみ)を拾い、私の携帯電話にSMSのメッセージに不在着信の知らせが届いたのでした。そこには地元警察からの着信と、私たちと連絡が取れず心配していた父からの着信履歴が示されていたのでした。父には山に登る当日の朝、LINEにて○○山に登ってくるからね、と私から連絡を残していましたので、ひとまず警察と父がこの事態を把握していることに心底安心したのでした。ただし、もう既に完全にあたりは真っ暗、いくら山岳救助隊の方々であっても暗い中の捜索は極めて困難ですので、私たちの捜索は明朝開始されるのだろうと予測していました。
・深夜1時頃
10分ほどの睡眠を取り、40分動く、というルーティンを開始しました。動く時間帯には太ももを揺らし、腕をポケットに入れたまま中で動かすという動作を繰り返し行いました。なるべく座っている時間が短くなるように(座っていると体が冷えるのはもちろんのこと、眠気が襲ってくるから)動ける時間だけ目一杯動き、疲れたら一旦座って目を閉じて10分だけ休息をとる、そんなルーティンを繰り返し実行しました。
・明け方5時過ぎ
太陽が昇り、明るくなりはじめるのを待ちつつ、下山開始前、足をしっかり動かせるよう体を温めていました。幸いにも夜は星が出ていたので、私と母は明日は恐らく晴れだろうという予想をしていました。その予想は的中しており、オレンジの光が向こうの空から差し込み始めたのでした。
・朝6時
ようやく太陽がしっかりと昇り、明るくなりはじめ、ついに下山開始です。慎重に、母と声を掛け合いながらゆっくりと降りました。
・6時30分頃
一般の登山客第一号の方に会い、その人から下から山岳救助隊がおーいおーいと声を出しながら登ってきている旨を伝えられました。山の一部を持つオーナーの方(ボランティアで捜索活動もされている方)にまず初めに出会い、そこでパンと飲み物とカイロをいただき、その方は後から登っている山岳救助隊の方々に会うまで、私たちと一緒に降りてくださいました。
そしてすぐに山岳救助隊の方々に会いました。すぐにその場に座らされて、診療が開始されました。血圧を測定、名前や住所を確認されたり、爪の色や目線の位置を見てもらって、救急車の要請が必要ないことを確認できたため、そのあと山岳救助隊の方々に前と後ろから挟まれながら、1時間かけて麓まで自力で降りることができたのでした。
~現実に戻って感じた恐怖と奇跡~
正直なところ、ビバークを決意する前は絶望。自然の恐ろしさ、そして日が落ちるスピードのあまりの速さにこれから始まるであろう事態を想定して、涙が勝手に出てきてしまいました。それでも道迷いをしていないという絶対的な自信と確証があって、天候も寒いことを抜きにすれば雨も降っておらず風も吹いていなかったし、明るくなれば、あとたったの12時間我慢すれば…必ず下山できる、そして2人ともなんの怪我もしていないことが希望に繋がっていました。先に進もうとした私を止めてくれたお母さんに本当に感謝しています。もしここで無理に進んで道を間違える、もしくは滑落し体が濡れたり怪我をしたらそれこそ本当に命の危険があったからです。
いざビバークが始まれば2人で話をしたり、励まし合って深夜2時くらいまでは時間があっという間だったんです。正直、熊や猪の心配はあったし、後ろを見れば真っ暗だったから心細くなることもありました。でも沢の近くで美しい水の音が絶えずしていたこと、ケータイのランプ、それにつられて遊びに来る虫たちにかなり精神的安定を与えられました。
深夜2時過ぎから明るくなり始める5時30分頃までは空を何度も見つめては、寒さや眠気と戦ったり、正直辛い時間でした。ただ短い睡眠を取れたこと、目を瞑るだけでも休息になったと思うので、そこでだいぶ時間の経過を早く感じさせることができました。太陽が昇っている様子をあんなに長く見つめていたのは人生で初めてでしたが、明るいあたたかい太陽が出てきたときは本当に感動しました。夜が明けた瞬間を身をもって体験した最初で最後の日かもしれません。当日は山岳救助隊の方々にも驚かれるくらい元気で、無事に降りられたことにただ安堵しているだけにとどまっていましたが、家に帰って当たり前の生活をし始めると生きていることが奇跡だったことに気づいて、また別の恐怖と安心感が交互に現れる感覚に襲われました。
そして今回多くの人に心配をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。コースタイムをしっかり把握して途中で引き返すこともできたはずだし、ヘッドランプを持っていなかったせいで、こうしてビバークをすることになってしまったのは自業自得です。それでも自分たちの能力を過信せず、判断力が鈍って誤った選択をしなくて本当によかった、と思います。人間は案外窮地に陥ると冷静であり、生きようとするための術がどんどんと思いつくことを知りました。今では、今まで気がつくことのできなかった当たり前のこと全てに感謝しています。
今回様々な奇跡的なことが重なり合って生きて下山することができました。それには山が持つ不思議な力もあるのかもしれないと私は感じています。
私が登った山のコースには私の名前が2文字も入っていて、道中祀られている神様には必ず手を合わせ、行って参りますと声をかけたこと、その神様たちがまだ戻ってきていないぞ、どこにいるのかと心配して助けてくれたのだと信じています。その山にに再び登るかは分からないけれど、必ずまたお礼をしに戻ると決意しました。
ここまで長い拙い私の文を読んでくださって本当にありがとうございます。
ぜひこれを読んだ方々へ私の経験が少しでも活きていれば幸いです。
ありがとうございました。
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