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孤独①

 ここからは、怒涛の第三章、義家族編である。
 義親にはここまで、繁忙期で私の帰りが遅い日等は娘の保育園への迎えや食事等、お世話になる事も多かったのだが、ある出来事で義親に対する嫌悪感が強くなった。

 2016年であまりに衝撃的で印象に残っているのは11月末。
繁忙期も後半になり、あとわずかで産休入りとなる頃、職業訓練生の夫は毎晩、自分が通学する為の交通費とお昼代を稼ぎに代行のバイトへ出かけていた。生活費はほとんど入れず。夫の通帳は義母が握っているのだから。
 それでも、私のわずかな給料で小さな娘と私自身の夕食はどうにかまかなっていた。

ある晩、娘が癇癪を起こし泣き続け、どうにもならずに夫に電話をすると、「忙しいんだから電話するな!おかーを呼ぶ!」と言われ、は?呼ぶ必要無いけど!と答えるも、一方的に切られた。私はただ、娘に言い聞かせてなだめて欲しかっただけなのに。しばらくすると娘はうとうとし始め、布団へ移動させ、ようやく寝てくれる…!!と思ったその時、
ピーンポーーーン…
21時も過ぎているのに誰だろう?と玄関を開けると、義母が立っていた。
「娘(孫)は?」
「あ…今、寝ようとしたところで…」
そこへ、祖母が来たことを察知した娘が覚醒して駆け寄って来た。
娘を抱き上げ、義母は言った。
「娘(孫)を連れて行くから、荷物まとめて渡して」
突然のことで何がなんだかわからない私。
そうか、夫が義母を呼ぶって言って、本当に呼んだんだ。
「いや、でも今寝ようとしていたので、大丈夫です。ありがとうございました」と私が娘を受け取ろうとすると、遊びに行けると思っている娘はおばぁと行きたいー!と拒む始末。
呆気にとられていると、義母が思わぬことを口にした。
「あなたね!どんな怒り方したの!子どもがお母さんのところへ行くのを嫌がるって異常でしょう!」
「はい?」ますます意味がわからない私。
「いいから早くカバン持ってきなさい!」
カッチーーーン と、私の中で何かが砕けた。
「は!?いきなり来て寝るのを妨害しておいて何ですか!?カバンの用意なんか私はしません!したけりゃ入って勝手にやってください!誘拐と不法侵入で訴えますけどね!」
と、リビングへ入り、ソファーへかける私。妊娠9ヶ月。仕事で疲れてきて、夫は毎晩のように居なくて、やっと子どもを寝かしつけられると思った所へ、何なんだ。イライラが止まらなかった。義母は娘を抱っこしたまま、リビングへ入ってきた。そして、子どもへの怒り方がどうのこうの…とごちゃごちゃ説教を始めたので、
「何を聞いてきたんだか知りませんけど、私が怒っているとすれば夫にです!毎晩いなくて、子どものことも全て私が1人でやってるんですよ?」
「仕事をしているんでしょう!」
「仕事って、自分の通学のためのバイトじゃないですか!まともに働いていたら必要の無かった仕事ですよね!」
「あなた、自分の旦那さんをよくそんな風に言えるわね」
私が家事も育児も食費も全て1人でこなしている事に関してと思うが「何事も楽しく考えないと」等と意味のわからない事をも言い放つ義母。自分の息子をよくそこまで弁護できるな!と思いながら、結局何がしたいんですか?何が言いたいんですか?と生産性のないやりとりだったのであろう、その先はあまり記憶にない。
抱っこされながら眠りについた娘を置いて義母は出て行った。

 夫が何と言って義母を呼んだのかは不明だが、「状況も聞かずにいきなり説教をするんだ、所詮この義母もただ息子が可愛いんだな」と思い、義母という人となりがこの時に初めて見えた気がした。


そして、年が明ける


 12月末に2人目の子を出産して間もなく年が明け、2017年。
私は一刻も早い仕事復帰を目標に、SNSで話題になっていた手書き家計簿でお金の流れを細かく書き留め、日々のやりくりに勤しんだ。
産休前に稼いだ給料とインセンティブ、そして表彰の賞金にボーナス、これらを数ヶ月分に分配し、出産手当金が入るまでの間をしのぐ。
生まれたばかりの息子には、半年ごろ保育園に預けられるようにミルクで育てたかったが、節約の為に母乳と混合にすることに。乳児がいる生活は大変ではあったが、お姉ちゃんになった娘がよく手伝ってくれ、家にいる時間ができたことで娘とお菓子作りをしたり季節にちなんだ料理を作ったりと、私も穏やかに日々を楽しんだ。

 2月には、夫は、職業訓練校より紹介された機械関係の大手企業に就職が決まり、春を待たずに早期出社となった。

2017年4月。
夫から、ある事を提案される。
それが、この後、私の生活を地獄へと変えた。

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