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27年ぶりに、父に会う

弟と一緒に、父が出席するはずだった同窓会にお招きいただいた。
3歳の私と0歳の弟を残し、36で他界した父。
母以外から彼の話を聞く機会は初めてで、ワクワクするイベントなはずなのに、正直、不安もあった。

私の半分を作ったのは、いったいどんな人なのだろう。

母は今でも父に恋しているんだから、家族の前では、美談を少しするだけ。
(そもそも母に格好悪い部分を見せる前に逝ってしまったのかもしれないけど)

だから、友人たちから聞く彼が、私がたまに心の中で話しかけてきた人物像と違ったら…いない父を想像し、イメージだけで膨らませてきた”妄想の親子関係”がゼロになってしまうのではないかと、ちょっと怖かった。

そんな不安を抱え足取りが重く、19時吉祥寺駅公園口という待ち合わせに遅刻して弟に怒られた。

店に着くと、父の友人たちが還暦をこえていたことに、驚いた。私のなかの彼は、遺影の若いイメージから更新されていないから。

井の頭公園の近くにひっそりと佇む居酒屋。
おでんをつつき、それぞれの近況を報告しあいながら会は進んだ。

「あいつは他のクラスも他校にも友達が多かった。球技が得意で、ビリヤードが上手くて」
(建築家だった彼の文字は、とっても几帳面な筆跡だった。器用だったんだろうな)

「下校してからラメ入りのスーツに着替えて、ディスコに行った」

「深川の芸子さんと仲良くなった」

うん、想像通り軟派な人だ(笑)

透明だった父の存在が、急に立体的になり、色づく。
話してほしいと頼んだわけでもないのに、話題が尽きなかったことがうれしかった。

「ずっとあなたたちと、あいつのことを話したかったんだよ。いつでも力になるから」温かな言葉をいただき、ぎゅっと握手をして帰宅した。

たとえ隣にいなくても、人は誰かと一緒に生きることができる
――そんな言葉が浮かんで、少しだけ、強くなれた気がした。

人は人を、簡単には失わない

この件で、やっと、私は父を確かに感じられるようになった。止まっていた時間が動き出す。

あの人がいたら、どんな返事をしてくれただろう。どんな顔をしてくれただろう。それを想像するだけでも、気持ちが強くなる気がするのだ。

私たち家族を大切にしてくれるご友人たちの存在は、父からの贈り物だ。
肉体がなくなったとしても、人は人を簡単には失わない。

いつか私がこの世から消えてしまっても、大切な人へ、大切に想う気持ちが届くように、毎日を過ごしたいと思った。
死と向き合うことは、今と向き合うことだ。

いまなお私と弟を守ってくれている父に、私たちを遺す無念を抱えて逝ったであろう父に、心のなかで「大丈夫だからね」と伝えた。

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