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チャイナ服の袖でオパールを拭う

結婚指輪を売った金でチャイナ服を買った。裾の丈が長いやつじゃなくて、ジャケットだけれど、非日常な格好は不安定な心を少しだけ軽やかにしてくれた。
 五時にもなれば、帰宅の足取りが駅構内を埋め尽くす。改札を抜ける人々の流れに逆らって、私はただぼんやりとフラフラと、足を動かしているだけ。時折、肩にぶつかる人は、この格好をいぶかしそうに物珍しそうに、好奇な目を向けて行き去っていく。家に帰って夕飯の準備をしなきゃ、と思いかけたけれど、あの人が帰ってくる前に料理を済ませておく必要はもうないんだった。
 そうやって無頓着に歩いていたら、反対側の出口まで来てしまった。広い構内で、ハンドメイドバザーが開催されていて、明かりに照らされたアクセサリーがキラキラと反射している。その輝きは誘蛾灯のようで、さながら光を求める蛾のようにそれらのほうへ足を向けた。どうぞ、お手に取って、と声をかけられたテーブルに目をやると、針金を曲げてつくられた指輪が並んでいた。指輪の真ん中に針金に絡まれた宝石が輝いている。
「石だけお買い求めになることもできますので」
 野太い声で言った店主は革張りのケースを開けた。そこには彩り華やかな宝石が、真綿に包まれて並んでいた。綿に張り付いた値段表を見ると、さっき売った指輪には及ばないが、どれもこれも良心が感じられない価格だ。立ち去る理由を考えあぐねていると、右下の隅に真綿の間に隠れている白い石を見つけた。
 つまみ上げてみると、打ち砕かれた石の破片ようだった。牛乳が残っているコップに水を注いだような半透明の白をしている。
「オパールの原石です」
 光にかざしてみて、と店主がうながす。照明に当ててみると、石の中で微かに青緑が煌めいた。ロウソクの灯火の根元にちらつく青い火のようなそれは、人の手でよく磨かれ強い煌めきを放つ宝石の中で霞んでみえる。けれど、どの宝石よりもほのかに煌めくそれは、優しい光をしていた。
「これを指輪にしてください」
 店主はうなずくと、ペンチを使って針金を器用に曲げにかかった。
 華やかではないけれど、いっしょにいると温かい人。今度はそんな人と一緒になりたい。このオパールの指輪は、願掛けにさみしくなった薬指にでもはめておこう。
「できました」
 完成した指輪を店主が差し出す。受け取ろうとしたとき
「お召し物、よくお似合いです」
 と言われた。
 やっぱり赤はやめておけばよかった。店主の顔をまともに見ることができなかった。

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