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双 ツイン

黒いチュールレースのフリルに彩られたドレス。私はそれを抱えて部屋に入った。
「新しい服ができたから。今日これ着てよ」
 暗闇の中でかすかな息づかいが聞える。私は壁を手探って、明かりのスイッチを入れた。天井から垂れ下がる白熱電球がパッと光が灯る。ウィスキー色の室内にひとつ置かれた赤いソファ。その上に寝転がる彼女は、うぅんと唸り腕で目元を庇った。もう学校に行く時間なのに呑気な奴だ。ほら、起きてよ、と私は彼女の腕を引っ張って、上半身を起こす。
「無理に起こさないでよォ」
 私と同じ、掠れた低い声は、いかにも面倒くさそう。まだ光がしみるのか、固く目をつむったままだ。
「試着させてよ。それ」
「別にしなくてもいいんじゃない。私、さっき着たけど問題なかった。アンタは私なんだから」
 彼女は忌々しげに私を見る。私と同じ目。気に入らないことがあったとき、私はこんな目をしてるんだ。キツくって、生意気っぽい。これから人前で気をつけよう。
 ソファから降りた私は、ドレスをもぎとる。白いネグリジェを脱ぎ、部屋の隅に放り投げた。
「徹夜してたでしょ」
 裸の彼女は人差し指を突き立てた。指先は私が着ているスポーツTシャツを捉える。
「昨日から着てるからさ。汚い。風呂入ったの?」
「夢中になってたから。それ作るのに」
 パジャマ兼ルームウェアのTシャツ。しなびた青菜のように皺が目立つ布地をつまむ。指先が油を感じた。
「あっそ。ごくろうさまでした」
 嘲った顔で彼女は言った。私だってあんな顔したことない。彼女の背後でくちゃくちゃに丸まったネグリジェ。その純白のシルクまでもが、私を嗤っている。
 彼女はドレスに足を入れると、肩に引き上げる。魔女の孫のような身なりになった。
「ファスナー上げて」
 背を向けたまま、私に命令する。私は孫の下僕か。チッと舌を打った。彼女の長い髪をどかし、ファスナーを上げる。どかしきれなかった髪の一房が、手元に触れた。アッシュグレーに染まった髪。気づかれないようにつまんでみる。手入れがいきとどいた滑らかな手触りだった。
「髪さぁ」
 慌てて髪を手放す。なに、となんでもないふうに聞き返す。
「地肌のあたりが黒くなってきた。また染めに行かなきゃ」
 ていっても。彼女は肩越しで振り返った。
「こんな頭で髪の話されてもわからないか」
 乾いた枝毛が目立つ私の頭をなでられる。捨て犬の頭をなでるみたいに。我慢ならなくて、彼女の手を振り払った。いたぁい、と彼女は笑った。私と同じ位置にあるはずの八重歯はない。笑顔が醜くなるから、抜かせたのだ。
「あんたさ。悔しくないの?」
 嘲った顔で、つづける。
「こういう服だってホントは自分が着たいくせに」
バレリーナのようにドレスの裾をつまむ。
「でも、周りの目が気になるから。ゴスロリが好きだけど、外に出る勇気がない」
八重歯だって、抜くときの痛みが怖くてできない。
髪も、癖だから諦めて手入れしてないし。美容院に行く勇気もない。
「まぁ髪が私ぐらい伸びても、染める勇気もないんでしょうけど」
 ホチキスがあったら、コイツの唇をとめてやる。けれど、できない。けれど、そんな彼女に言い返す資格は私にはない。
オシャレしたい。髪を巻いたり、濃いメイク。個性を出したファッション。私だったらゴスロリだ。やりたい。けど、そんな勇気はない。なんであんな格好してるんだろうって見られるのが嫌だ。八重歯も、綺麗になるために痛い思いするなんて、嫌だし。それに、オシャレを完成させるのに、手間がかかる。髪にトリートメントをして、乾かすとか。毎日洗顔して、化粧水を塗ったり。そのために六時に早起きするとか、面倒くさい。
 だから、もうひとりの自分に叶えてもらうことにした。私の代わりに、私のしたい髪形を、私のしたいメイクを、私のしたいファッションをさせる。理想の私を育てる。そこに恥ずかしいとか思わない。
だって、自分と同じ容姿でも別の人だから。
「もう学校行って。遅刻する」
彼女の背中を扉の前に押し出す。これから、私の理想の人生を送ってもらう彼女。恥ずかしくないし、面倒じゃない。それなのに、みじめだった。
「『みじめだ』って思ったでしょ」
 わかるよ。ワタシはあんたなんだから。彼女は吐き捨てるように言うと、外に出ていった。靴音が遠ざかり、やがて聞えなくなった。


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