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自己模倣禁止について

自己模倣禁止、自己模倣禁止。
最近僕は自分に向かってそう言い聞かせている。
信頼し、尊敬する画家でありピアニストからのアドバイスだ。
僕はライブを通して何度もニルヴァーナを観ている。
あ、ロックバンドのニルヴァーナじゃなくて、
涅槃という意味ね。
つまり、
"ある境" を何度も体験している。
空間全体が自分のからだの延長のように感じられ、
どんな小さな音でも、その微細な音が空間全体に嵐を巻き起こすような感覚。
自他の境界は溶解し、音を鳴らしてから伝わるまでのギャップがないような感覚。
僕がさっきから言っているニルヴァーナはこんな感じ。

その一方で、
その真逆の状況も日々経験している。
空間にモヤがかかり、小さい音は小さなままに、手前に落ち、モヤにかき消され、伝えようとして大きな音を出せば、その音がモヤに加勢し、いよいよモヤばかりが大きくなる、みたいな状況。
こんな時、自分に興醒めするのだ。苦しいのだ。
ニルヴァーナの喜びをからだが知っているだけに、見えないモヤに満たされたこの状況と、ニルヴァーナとのギャップに苦しむのだ。自分が自分ではないような氣がしてくるのだ。やるせない気持ちが更に空間のモヤを形成してゆくような氣がしてくるのだ。
"最高だったライブ" がこうして自分の壁になることがままある、という話を、
先述のピアニストにしたのだ。

彼女は、
「あたしもよくわかるわ〜それ」
と言いながら、
「でも自己模倣はよくないよ」と言った。
自己模倣。
「最高だったライブの最高だった自分」というのを、知らずに求めている自分が居た。
「今日のライブ空間は一回しかないんだから、周りの空気を感じながら、弾いたらいいよ。あんたは3割くらいの力で演奏するのがちょうどいいよ」
そう言ってくれた。
そう。躁状態の時の僕はものすごい勢いで演奏をする。紡ぐフレーズが、コシのあるうどんのように力強くしなやかにどんどんどんどん出てくる。舌も回る、会場も湧く、、、、、。
その分ガックリ地に堕ちたようになる自分も居て、常々大変なんだが、、、。
そういう時に限って、
あの躁状態を、どこかで求めてしまうのだ。
それを、見ていてよーくわかってくれていたのだ。自己模倣しなくていい、3割でもいいくらい、今日は今日の演奏。
呪文のように、
敬愛するピアニストの友人からもらった福音を最近繰り返している。

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