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繰り返す


まだ温もりの残る布団の中、一定のリズムで無情にループする音が聞こえてくる。

昨日の自分の手が間接的にそうしたはずなのに毎回起こされた気になって

冬の寒さが一瞬にして全身に覆いかぶさり、重い身体にまた一日が繰り返されることを気付かせる。

日々の生活の中で多少の変化はあったとしても所詮多少の範囲内で。

日常に慣れると自分は何かもっと違うことができるのではないかと、

幼いころに持っていた選択肢の広さに比べ、いつの間にかかなり狭まった気がする未来の道にただ僅かな期待を寄せるだけ。

そんな代わり映えのない日々に嫌気がさして、だからと言って何かできるわけでもない。

一歩一歩前に進んでいるという実感が湧かない日々の中で抱える不安や葛藤が日常の隙間に何度も顔を出す。

ただ、こんな風に悲観的な面ばかりに目を向けることは簡単である。

楽観的に生きたい。

もちろん悲観的な目線も大切でしっかりと認めて受け止めていたいけれど、

楽しいことをたくさん見つけたい。

日常の情緒の繰り返しの中にも間違いなく、幸せな瞬間は存在していて。

ビルの間から覗く花火のような日常の隙間に隠れた煌めきを見落とさないように。

いやそんなに輝いているものじゃなくたって全然いい。

水曜日だと思っていたら木曜日だったぐらいの輝きでいい。

木曜日だと思っていたら金曜日だったぐらいの煌めきでいい。

幸せってある程度他者との比較の上に成り立っているように見えることが多くて、

誰が結婚したとか、手取りいくら貰ってるだとか

もしかしたら周りから幸せそうって思われることが自分の幸せにつながったりするのかもしれない。

そうすると幸せかどうかを決めるのは他者ということになってしまう。

でも周りが幸せそうって思わないところでたくさん幸せを感じられる人って楽しそう。

比較しやすい部分ばかりが目につくけれど、比較できないところを大切に

自分だけが知っている幸せを噛みしめる。

幸せってやせ我慢。




おわり



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