見出し画像

2024年のひとりごと、2025年のつぶやき

嵐のようだった。

この表現がすべてを包み込んでいるわけではないけれど、2024年を一言で表現するならこんなところだろうか。

1月:ここまできた。社会教育主事講習、完!
2月:混沌。いろんなことを乗り切った。
3月:各所のいろんなはじまりに立ち会う。
4月:春がきた!毎年恒例、年度はじめのカオス祭り。
5月:やっと日常のぐるぐる。ちょうどいい気温のうちに動いておくぞ!
6月:偶然に身を任せてみた。コンテンツでのコミュニケーション探究。
7月:夏、やってきた。ぐるぐる走り回った。やればできる。
8月:夏休みこそ仕込む、こつこつ。
9月:ローカルで生きる、体感。
10月:グッと世界が広がった。
11月:もてなすって、たのしい。
12月:立ち止まったら空っぽだった。

カレンダーを見ながら各月のことを思い返して、山と谷がぐいんぐいんしている1年だったなぁと思いを馳せる(つらつらと書いてみたら、しいたけ占い感のある言葉使いに。しいたけ占いが心の栄養なのは毎年変わらず…)


ここ最近、アウトプットが下手になったと感じている。

目の前のことをこなすコツは少しずつ掴めるようになってきたけれど、それに精一杯でグッと手に握っているものを見返す感覚を忘れかけているような。

その根っこには、もちろん立ち止まる時間がとれなかったという理由もあるのだけど、同時に素の感性で生きていたら苦しすぎるという理由もあったように思う。

素っ裸の感性は横に置いて(そっとカバーを被せて)、役割をもった自分の感性で生きていくこと。

それが働くということなのだろうか。


そんな問いを持ちながら、それでも離せない、離したくない機会に向き合いながら生きていた1年だった。

だからこそかもしれない。よりナチュラルな感性で過ごせる(と私が思う)機会によって、とても充電された実感もある。

森をもっと知りたくて、森にもっと近づきたくて参加した、伊那谷フォレストカレッジ
見つけた瞬間ビビッときて、いつか参加するんだと決めていた、リビセンみたいなおみせやるぞスクール

救われたのは、知られているわたしがいない場だった

10月からキャリアコンサルタント(以下、キャリコン)の資格取得に向けた講習を受講した。

その中でライフキャリアレインボーという概念を教わった。

ライフキャリア・レインボーは、1950年にドナルド・E・スーパーにより提唱されました。彼はこのライフキャリア・レインボーを形成するものとして、「5つのライフステージ」と「9つのライフロール」があるとしました。

(中略)

これらのライフロールは、常に1つではなく、複数を同時に持っていたり、入れ替わったりと、人によって様々です。
「人が持つあらゆる顔」を意識することは、人生を考えるうえで重要であるといえるでしょう。

https://www.recurrent.co.jp/career/life-career/

今の私には、随分ずしりと響く概念だった。きっと今まで分かっていたようで、分かりたくなかったことだったから。

役割が複数あるということは、例えばAの役割で関わる人にとって、Bの役割の自分は知らない存在であることを意味している。

言い換えれば(主語を自分自身に置き換えると)、Aの役割で関わる人には、Bの役割の私で関わりづらい(前提の説明や認識のズレが生まれやすい)とも言える。

「役割に応じてみせる面を少しずつ変えていくって、面倒じゃない?」

今まではそう思っていた。

でも、前述で例を挙げたようなナチュラルな感性で過ごせる(と私が思う)機会では違った。むしろ誰も知り合いがいないという環境がとても心地よかった

私がザ・教育のあたりにいる人でないと分かりづらい仕事をしているからこそ、やっていること(do)に関する情報は最低限で、その場での対話からみえた私(be)に関わってもらっている感覚があったから。

ただともに時間を過ごして、ただ感じたことを交わし合う間柄であることが、どんなに気持ちいいのかと。

逆に言えば、普段から物理的に一緒にいる人たちに対して、私はどれだけ前提情報ありきで関わっているのだろうと。やっていることを通して人と関わるのではなく、その人自身と関わる心がけをどれだけしているだろうと。少し寂しい気持ちにもなった。

人生を力強く生きる、努力をしてみる

つい先日、今年の元旦に引いたおみくじに、こんなことが書いてあった。


生きるとは一人の作業である どんな境遇にあろうとも揺るがない自分だけの生き方を見つけなさい
効率よくやろうと思わず己の心と真剣に向き合い たった一度の人生を力強く生き抜きなさい

こういう感じ、今の私にいいかもしれない。

そういえば、高校3年の卒業式の日に「漢字一文字で抱負を書く」という時間があった。

私は”竹”と書いた。

自分の軸も持ちつつ、周りの考えを聞いたり置かれている状況を知ったりして、竹のようにしなやかに生きていきたいです。

高校生の時からみたら、だいぶしなやかさが増した部分はある。けれども、経験を重ねるとは面倒なもので「私はこう思う」「きっとこっちがいい」という固い思いのようなものもゴロゴロと転がり始めている感じがする。

それは目に見えないものへの感じ方に限らず、人への関わり方においてもそうなりかねない。

「あの人にはこういう風に関わろう」
「話したことはないけれど、きっとこういう人なんだろうな」

固定概念というか、先入観というか、思い込みというか、そういったものたちを手放して生きていきたいと思う。もちろん多少(役割と精神安定上)必要な場合もあるかもしれないけれど、ただそこにいるあなたと私の関係性こそ全ての土台であることだけは忘れずに。

ここからは、誰得…なメモみたいなつぶやき。

2024年、買ってよかったもの

・雪肌精の化粧水を買った。課金するとこんなに違うのか…
・シャンプーとコンディショナーを12 / JU-NI に変えた。最高…
・勅使河原麻衣さんの本たち。このモヤモヤ、私だけじゃなかった驚き…
 『働くということ 「能力主義」を超えて』『職場で傷つく
・キャリコンの講座。このタイミングしかないと踏み切ったのナイス判断…

2025年、やりたいこと(抜粋)

・1日1冒険(「初めて」や「やってみたい」をやってみる)
・森の素材をつかった暮らし・イベント・ワークショップ
・東北太平洋側縦断ツアー
・キャリコン合格
あわいづをもりもり楽しく&ぷかぷかをもりもりステキ空間化

2025年もたくさんあそび、旅をする1年にしたい!みなさん今年もよろしくお願いします!

いいなと思ったら応援しよう!