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落ち葉に身を任せてみたら、やらなきゃいけない私に優しくなれた。

掃いても掃いても、落ちてくる。それが、秋の落ち葉だ。

朝、まだひんやりとした空気に包まれた時間に、出勤をする。

玄関前、軽自動車が2台停められるくらいのスペース。限りなく黒寄りの灰色なアスファルトの上に、有彩色の落ち葉が散らばっている。

「もうこんなに落ちたの」

昨日、同じくらいの時間に、落ち葉はすっかりアスファルトの端っこに追いやったはずなのに。

人生で最長の鍵を必死に鍵穴へ差し込み、ほんのり温かい玄関を抜け、部屋へ荷物を置く。

机の上には、今日付の新聞が何食わぬ顔で置いてある。

「あぁ、また朝に来たんだな」

朝早く立ち寄って、私が来る前にまたどこかへ立ち去っていく同僚が、きっと今日一番に新聞を手にした人。

ぬるい空気と、チラシが挟まったままの新聞が、彼の面影。

そう思いながら、部屋より一段階ひんやりとする玄関へ向かう。

右手の玄関を通り過ぎ、左手の物置に入る。昔ながらの竹ぼうきは、右肩に担ぎ上げると私にはちょうどいい。

魔女の宅急便みたいね

職場で初めて竹ぼうきを手にした日、同僚がふとつぶやいた言葉が、蘇る。

ちょっぴり照れくさいけれど、キキみたいとは、なんて鼻が高いんだ。

このかわいらしい竹ぼうきを担ぎたい理由の8割くらいは、キキの気分を味わいたいからかもしれない。

残りの2割は、あの落ち葉を掃きたいから。特段、掃除好きというわけではない。

でも、毎晩リセットされる灰色のアスファルトのキャンバスを見てしまうと、放っておけない。

「みんなが出勤した時に、落ち葉に気を取られさせたら、嫌だ」

そう思うのが私のサガだって気づいたのは、ここ1ヶ月のこと。


ひんやりとする玄関を抜け、落ち葉のモザイクのすぐ隣に足をとめる。

「よし、やるか」

誰に頼まれたわけでもない。誰に見られているかも分からない。通りかかる人はほとんどいない。だからこそ、ただ落ち葉掃きをしているだけで、アイドルなんじゃないかって思うくらい、街で一番目立っている感じさえする(たぶん、というか99%の確率で勘違いなんだけど)

竹ぼうきをアスファルトにつけ、左から右へと腕を動かす。

「あっ」

そう思ったのも束の間、あっという間に、落ち葉は元の位置へと戻ってしまう。

養分になるべき場所に、数秒前、お届けしたはずなのに。

「こんなとこで、ボロボロになってたまるかー」って、落ち葉が風に助けを求めた感じさえする(たぶん、というか99.9%の確率で、風の気まぐれなんだけど)

左から右、左から右、右から左。

大したことは、やっていない。けれど、そんな単純な動きを繰り返すだけで、美しい灰色のアスファルトはまた真っ白なキャンバスに様変わりする。

と、後ろを振り向くと、ぽつり。数秒前に落ちたはずの落ち葉が、アスファルトに優しく着地している。

「あ゛ーーーー」

本当は、そう叫びたいくらい。もちろん、そんなことするキャラでもないし、意味もないし、やったって何が起こるわけでもない。

結局、好奇心が満たされるかは、自分が決められるものじゃない。成り行きに任せる、運みたいなものなんだと思う。


自然のすぐ隣で生きていると、やらなきゃいけないとか、あるべきとかっていう感覚がいかに頼りないかって、分かるもんじゃないのかな。

獣だって、絶対に獲れるわけじゃない。
落ち葉だって、予測通りに落ちるわけじゃない。

何もかも、やりたいうち・できるうちにやるべき。

予想通りにいかなくて、というか、いかない方がいいんじゃないかな。

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