見出し画像

地頭のよさってなんだろうという話

地頭の良い人っていいよね。
筆者は頭の良い人が大好きなので、お勉強ができる人も、知識の量が多い人も、頭の回転が速い人も、他人の感情の機微に敏い人も、大好き。
でもそもそも、頭が良いってどういうことなんだろう?ってちょっと思う。
あるいは、頭が悪いってどういうこと?って。
この記事ではそういった特に答えのない問いについて、筆者の考えをまとめていきたいと思う。
暇な人と興味がある人は読んでみてね。あくまで筆者の一意見だよ。



●頭が良いってどんなこと?

色んな定義があると思うけど、頭が良いというのは特定の能力があるということだと思う。例えば。
記憶力が良い。想像力が高い。理解力がある。発想力が優れている。品性がある。などなど。
そういう能力を1つ、あるいは複数持っている人のことを、頭が良いと形容することが多いんじゃないかな。
逆に、頭が悪いっていうのは、上記のような能力を持っていない人、あるいはその状態のこと、かな。

こういった言葉を嫌う人って少なくないような気がするけど(優劣をつけるような表現に嫌悪感があるのかな?)、私は上記のような能力を持っている状態を表すのに『頭が良い』という言葉が一番相応しいように思うし、他にしっくりくる代わりの言葉が思い浮かばないから、この言葉を使い続けている。
代わりになるいい感じの言葉があれば、誰か教えてほしい。

まあ言葉の定義はある程度はどうでもいいとして(不快感を覚える人がいたらごめんね)。
じゃあ地頭ってなんだろう?って話ね。
筆者の感覚では、『頭が良い』というのは、大きく分けて『知識』と『知恵』の2つの要素を含むように思う。

●頭の良さ、の2つの要素

『知識』というのは、すなわち結果が目に見えやすくて、数えたり、数値化したりしやすい要素のこと。つまり、「この試験で合格点以上とることができるか?」「この問いの答えをしっているか?」というようなこと。
『知恵』というのは、目に見えない上に、他人に説明するのが難しい要素のこと。正解がはっきりわからないもの。つまり、「頭の回転が速いか?」「この人の気持ちがわかるか?」みたいなね。
この2つのうち、『知識』は勉強したり、習得に時間をかければある程度は誰でもできるようになることが多い。得手不得手によって、習得にかかる時間には個人差があるだろうけれど。
一方で、『知恵』は、習得しようにもどうすればいいかわからず、決まった鍛え方のようなものが存在しない。基本的には誰かの模倣やその経験でしか習得できないもの。
そして、世間一般に言われる地頭、というのは、後者の『知恵』の部分を指すことが多いのではないかな。

地頭の良さ。
目に見えないもの。正解のないもの。どうやったら鍛えられるのかもわからず、けれど優れている人とそうでない人ははっきりと分かれており、社会生活ではこれがあまりにも乏しいと生きづらくなるもの。
じゃあ、地頭の良い人ってどんな人のことを指すの?
地頭の良い人は、どうやって地頭が良くなったの?
ということについて、少し考えていきたい。

●地頭が良い人ってどんな人?

まずは、地頭の良い人ってどんな人?ってことなんだけど。
これは、先に述べた2つの事柄をかけ合わせればなんとなくわかると思う。
一問一答のように答えが決まっているわけではない、人の気持ちとか、仕事の効率とかそういう分野において、記憶力が良かったり、想像力が高かったり、理解力があったり、発想力が優れていたり、品性があったりする人のこと。
これが、地頭の良い人ってことじゃないかな。
具体例を交えながら、1つずつ説明していくね。

まずは、記憶力の良さ。
これはある程度の経験(過去に何かを得ていること)が前提になるんだけど、過去に起こった物事について、長くしっかりと覚えていることができる、ということ。
具体的には、「あの人は甘いものが好きって言ってたな」「あのやり方は上手くいかなかったって言ってた気がする」「前にテレビ番組で時短方法についてちらっと見かけたな」というようなことを、意識しているかしていないかに関わらず、記憶することができるということだ。

次に、想像力の高さ。
何か物事を見たり聞いたりしたときに、そのことに関連付けて、他のことを考えることができるか、ということ。
具体的には、「あの人はバイキングが苦手って言ってたな」→「少食で元が取れないからかな?」「潔癖症だから不衛生に感じるとか?」といったふうに、事実を元にしてあれこれ空想することができるということだ。

次に、理解力の有無。
何か物事に直面した時に、その内容を正確に把握することができるか、ということ。
具体的には、「説明書読んどいて」と言われたときに、求められているのが「説明書を読むこと」ではなく「説明書を読んで実際に操作できるようになること」であることがわかって、そして実際に説明書を読んで、内容を理解できるということ。

次に、発想力が優れているか。
これは他の要素にも関連してくるのだけれど、何か既存の物事があって、それが問題に直面しているときに、改善策あるいは打開のための案を(実際に成功するかどうかは別として)出すことができるか、ということ。
具体的には、「この作業をし忘れるという人為的ミスを防ぐために何をすればいいか?」という問題に対して、「実行前にアラートを出すソフト、そして実行後に実行を確認するソフトがあればいい」「実行時に確認できるよう、その作業についてのポスターを見えるところに貼ればいい」「実行時に指差し声出し確認を徹底すればいい」「作業する人員を増やして複数人でチェックすればいい」などなど、多角的な視点で案を出すことができるということ。

最後に、品性の有無。
これはかなり難しいニュアンスの話になるけど、ざっくり言うと、他人に不快感を与えずにいられるか、ということ。
具体的には、部下が仕事中に「お腹が痛くて・・・」と相談してきた時に、
「なんだ変なものでも食べたのか!?それとも生理か!?よーしみんなにも共有してカバーしてもらえるようにするからな!!」なんて大声で触れ回ったりしない、ということ。
仮に対応や言ってる内容が正しかったとしても、だ。

こういった能力がある人のことを、世間一般では地頭が良いと表現することが多いのではないかな。
仮に持っている知識が多くなかったとしても、地頭の良い人は、その気になれば知識は自分で身につけることができる。知識を身につけるための能力を、備え持っている。
そういう人が、地頭が良くて、あるいは仕事ができる人、という評価を受けるのではないだろうか。

●地頭はどうやってよくするの?

じゃあ、どうやったらその能力を鍛えることができるの?って話なんだけど。
上で少しだけ触れたけど、こればっかりは本当に、経験して鍛えていくしかないように思う。
最初のゼロの状態から何を経験するの?どうやって経験するの?って思うと思うんだけど、最初のうちは『模倣』に限る。最初に限らず、地頭を鍛えるというのは誰かの模倣を繰り返すことだと言っても過言ではないかも。

何を模倣するのか、ってことなんだけどね。
多分一番難しいのは、その対象の選択だと思う。
身近に、例えば親とか、兄姉とか、学校の先生とか、先輩とか、職場の上司とかに、この人みたいになりたい!って尊敬できる人がいれば、その人の模倣をしていれば基本的には間違いないと思う。
ただ、重要なのは、たった1人だけを模倣するのはやめたほうがいい。
地頭の良さ、についての能力について読んでいて、気付いた人は気付いたと思うけれど、これらの能力に絶対に必要不可欠なのは、視野の広さだ。
いくら憧れの相手がなんでもできる完璧超人に見えていたとしても、その1人だけを模倣しているだけでは、視野の広さは身につかない。
模倣するなら、最低でも2人。その2人を模倣しているうちに、この分野ではこの2人は真逆だな?みたいなことに気が付いたり、どちらを模倣するか、どちらも試してみるか、というようなことを試行錯誤していって初めて視野の広さが身につくのだ。

で、この人みたいになりたい!って尊敬できる人が、2人以上どころか1人もいない場合。大抵はいないんじゃないかと思うけれど。
そういった際に、誰を模倣すればいいのか?って悩むかもしれない。
でも、これは答えは簡単。
身近な『物語』を模倣すればいい。

『物語』とは何か?
それは、漫画だったり、小説だったり、映画だったり、楽曲だったり、演劇だったり、テレビ番組だったり、ネット番組だったり、そういうものだ。
リアルなものでもいいし、現実にはあり得ないファンタジーのものだっていい。
善人が努力する真っ当な物語でもいいし、悪人が悪逆非道を尽くすひどい物語でもいい。
共感できるものでも、意味が分からない!っていうぶっ飛んだものでもいい。
世の中には様々な物語が溢れている。
それらをとにかく摂取して、噛んで、飲み込んで、トレースする。

この場合のトレースっていうのは、実際に実行すること以外も含むよ。
というか、犯罪者の物語を読んで、それをそのまま模倣しちゃったら困るよね。
トレースっていうのは、なぞること。
自分だったらこうするかな、こうしてみたいなって考えること。
もちろん(犯罪以外のことで、他人を著しく傷つけたりしないことであれば)実際に実行してみるのもいい。
この漫画の主人公と同じトレーニングメニューを、自分も1か月間続けてみよう!そしたらこの主人公と同じような能力が手に入るかな?
手に入らなかったとして、じゃあトレーニングする前と後で、自分の体はどこがどんなふうに変わったかな?
そういうふうに、たくさんの物語を模倣するのだ。何度でも、何度でも。

そうしているうちに、自分の頭の中にはたくさんの『物語』が増えていく。
物語の中の、登場人物がみんな自分の頭の中に住み始める。
そんなふうに、はっきりと自分の頭の中に『多角的な視点』が生まれ始めたら、それはもう地頭が良いことの第一歩だと思う。
困ったことに直面した時に、考える。
あの人だったらどう考えるかな?この人だったらどう解決するかな?
理解できない人に出会ったときに、考える。
あの人はああいう気持ちでああいうセリフを言っていたんだっけな・・・。
そうやって、記憶力や、想像力や、理解力や、発想力や、品性を鍛えていくのだ。

●頭が悪いってどんなこと?

長くなってしまったけど、最後に。
最後に嫌な話するのもよくないんだけど、私が忌避する、頭の悪さについて話す。
最初の部分で、頭が悪いっていうのは、頭が良いと言われる要因となる能力を持っていないこと、っていうふうに言ったけれど。
それはただの事実として、そういう現象、あるいはその人の特徴、という意味で言ったし、そこに優劣をつける意図は一切なかった。
ないものはないし、あるものはああるからね。今持ってなくてもそのうち身につくこともあるし、その逆で、今持っていてもそのうち失ってしまうこともある。
だから、それ自体に優劣や善悪はないし、それは個性の1つであるとしか思わないんだけれどね。

ただ、私が『頭の悪さ』として嫌う要素の1つに、『浅ましさ』がある。
要素の1つというか、これが全てだという気もする。
つまり何が言いたいかと言うと、能力を持っていないことはただの個性の1つだけれど、能力を持っていないことで他人に迷惑をかけたり、傷付けたり、不快にさせていることを一切恥じずに、反省もせずに、改善しようともせずのうのうと暮らす、その性質のことを私は『浅ましい』と思うし、それはおぞましい『頭の悪さ』だと思う。

みんな努力しましょうっていう話じゃないよ。
能力がない人はみんな俯いて恥ずかしそうに生きろっていう話でもない。
自分に能力がないことについて、自分では改善しようとせず、他人の助力のみをあてにしてどうにかやっていこうっていう心根が気に食わないという話。
そういうのって、能力の有無にかかわらず、見ててわかるからね。
そういう頭の悪さと浅ましさは、見ててわかる。すぐに、わかる。

能力の有無はね。人によって得手不得手があるように、できる人ができることをすればいいじゃんって思うから、何にも思わないけれど。
端から「できないんだから仕方ないじゃん」って真面目に努力する人たちを食い尽くして生きていこうとする姿勢はね、看過できないね。
大嫌い。

というわけで。

能力はあるかないかでいったらあるに越したことはないと思うけれど、地頭の良さなんてものは身につけるのはかなり難しいからね。
でも、みんなが習得できたらいいかなって思って少し書いてみました。
習得できないならできないで全然問題ないんだけど。
全ての分野において頭の良い人なんていないと思うし、みんながそれぞれできない部分を支え合ってやっていけたらいいなって思うよ。

余談だけど、筆者は他人よりもかなりできる分野と、とんでもなくできない分野がはっきり分かれていると思う。
困っているときは助けるので、困ったときは助けてほしい、と思うよ。
全人類に対してね。

では、今回はこの辺で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?