対価を得ることは申し訳ないことか?

しばしば、市民活動に関する相談を受けていると、「お金をとるのはどうもね・・・」「儲けるつもりはないので(お金はとりたくない)・・・」こんな言葉を耳にします。

市民活動 市民の自主的な参加による自発的な活動で、営利を目的としない公益性を有する活動。(名古屋市・市民活動促進基本指針 2001年12月)

僕は必ず「なぜ、そう思うんですか?」と訊きます。その返事に、相談者の信念や活動に対する思い(例えば、今後マネタイズするための社会実験としたいとか、どうしても当事者からもらうわけにはいかず、他からの調達で取り組みたいとか)があるなら、「ではそうしましょう。」とそれ以上のことは基本、深掘りません。でも「えっ、お金をとってもいいんですか?」と返ってくるリアクションが圧倒的に多いというのが体感です。

そこには、何遍言っても誤解が解けない、営利を目的としない=お金をとる/儲ける/利益を得るという認知がいまだに多いことと、もう一つ、提供しようとしているサービスへの本気度や覚悟が足りないのではないか?と思うんです。なんでも自力、という考えには限界があると思っています。そこから生まれた中途半端なサービスは、誰にも支持されないし、それこそ、お金をいただくことなんて、申し訳のない話ですよね。はっきり言って、やらない選択をした方が、みんなのためです。

「そんなつもりはない!」と思った方、じゃあどうしたらいいか?それは、いただいたお金に見合うサービスを提供して、しっかり成果を出すこと。そこに、営利を目的とする活動か/営利を目的としない活動かなんて、不問なのではないでしょうか。

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