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理科と倫理

前回

前回なんて無いが、読む前にこれを読んでくれると嬉しいな。注意事項とかも書いてあるので。

本文

理科と倫理は共に在れと昔言った。自分は理科しかできない人間(まともにできる教科が理科のみ)だが、より良く生きる為にはどうすべきかを考えるのも好きである。それで当時思っていたことが理科と倫理があれば生きられるのでは?ということ。(しかし倫理が苦手で全く理解できないのである)
倫理が苦手でも、なんとか理解できるところがあった。理科は現実は教えてくれるが生き方は教えてくれなかった為生き方を教えてくれる教科があると驚いた。

理科はこの世の規則を知ることができる教科、倫理は生きる為の規則を知る、考えることができる教科、だと思っている。理科だけでは生き方を知ることはできない、逆に倫理だけでは盲信することになりかねない。なので理科を使い倫理を考えることで生きられるのだ。
前提として僕は、この世の全ては既に決まっていると思っている。理由は規則が存在しているからだ。規模が違っていても規則性は同じ。そういうことが意外に多い。
しかし人間がこれから起こることを予測するのは不可能である。理由は、人間が全てを知ることはできないので計算のしようが無い為である。
抗うつもりで動くことさえ決まっている事象であり、それ以上にも以下にもならない。先が見えないだけで先は既に決まっている。

僕は理科の規則に適用させなければルールも本当の意味では理解できないのだ。本当に理解ができない為僕が正しいと思ったルールはちゃんと守る人でよかったと思う。だってルールがあるから守ってるだけだから。ルールが無いと正しい判断ができない。他人を傷つけるのは地雷な程嫌いなのにどうして他人を傷つけてはいけないのかがいまいちわからないとかいう意味不明な思考回路をしているのである。だって他人が傷ついたから何?って思うじゃないですか。他人を傷つけてはいけないという前提を本当の意味で理解できていない。
理解力が無さ過ぎるのが悪いのですがしょうがないな。どうしてもわからないので。
なのでそんな時に理科を使う。理科の規則は物質の動きなどもわかる為どうなったかというのがとてもわかりやすい。何処まで影響が出るのか想像しやすいんです。なんとなくの前提を理解できるようになるのである。
つまり視覚化するということ。
だから僕って感情とかあまり気にしないのだな。わざわざ説明せなならんのか。面倒だな。しかも感情だけを説明したところでだから何?となるだけだし。事象と感情を繋げて考えることができないのだろうか?

僕は最近勉強を一切していない。したいとかしなきゃとか思うのだが昔の嫌なことを思い出したりして集中できないし、でも理科で例える必要があるので理科を勉強しないことには生き方を学べないのである。
なので此処にそれを書けば少しはやる気になるのではないかと。そう思って書いている。勉強は必須なんだ。他人のせいで傷ついて、それで勉強ができなくなるなんて生きるには非効率すぎる。明らかに損だ。

結論
理科と倫理があれば最強なのではないか?!

駄文

思想思考の投稿はこれが初です。文章、とても読みづらいでしょう。変える気は無い。
ということで今回理科と倫理について話した。文字数結構いったのは驚いている。作品の感想では140字超えるかも怪しいのに。来週くらいに勉強の進捗でも答えようか。どうなっているだろうか。いつになったら克服できる?

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