すいこ うまえ

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正しい生き方

明日は仕事だ。 そういう焦燥感が自分の心臓のあたりで逆立っている。 冷凍庫に母が残した、MOWがあったので、事前にカレースプーンで食べることを決めた。 デザートスプーンみたいな小さい匙では得難い背徳感を私は知っているからだ。 逃げたい欲求はきっと本能。 それを鎮めるために文書として吐き出す。 そのあいだ、傍らのMOWはだんだんと溶けてゆく。 結論は変わらないのだ。

    • ZAZENBOYSのライブに偶然立ち会った オールバックでビールをあおりながらマイクの前に立つひねくれたおっさん。 目の荒いヤスリみたいな声と歌詞のおっさん。 跳ね回る人、手すりにもたれて目を閉じ聴き入る人。 有象無象の坩堝を向井秀徳という糸が結んで揺らしていた。 かっけぇよ。

      • 人は変わるけど変わらない 毎日いろいろな人やモノや事柄に出くわす その出会いが良いことなのか悪いことなのか消化する間も昇華する間もなく日々は過ぎてゆく。 なにもできなかったと悔いる日に、自分はなにも変わっていないのか。 なにかできたと思った時は、自分は変わったのか。 どうだろうね

        • 自分で考えて、自分で選ぶ。 大人ってそういう生き物みたいよ。

        • ZAZENBOYSのライブに偶然立ち会った オールバックでビールをあおりながらマイクの前に立つひねくれたおっさん。 目の荒いヤスリみたいな声と歌詞のおっさん。 跳ね回る人、手すりにもたれて目を閉じ聴き入る人。 有象無象の坩堝を向井秀徳という糸が結んで揺らしていた。 かっけぇよ。

        • 人は変わるけど変わらない 毎日いろいろな人やモノや事柄に出くわす その出会いが良いことなのか悪いことなのか消化する間も昇華する間もなく日々は過ぎてゆく。 なにもできなかったと悔いる日に、自分はなにも変わっていないのか。 なにかできたと思った時は、自分は変わったのか。 どうだろうね

        • 自分で考えて、自分で選ぶ。 大人ってそういう生き物みたいよ。

          怒りってのは、私が相手を理解できないのが原因と思う。 怒りってる相手は、私を理解できないから怒っていると思う。 なので、相手を理解してみようとゆるっと受け入れてみたり 理解できるようにいろんな言葉に言い換えてみることをやってみる。 何を当たり前のことを。

          怒りってのは、私が相手を理解できないのが原因と思う。 怒りってる相手は、私を理解できないから怒っていると思う。 なので、相手を理解してみようとゆるっと受け入れてみたり 理解できるようにいろんな言葉に言い換えてみることをやってみる。 何を当たり前のことを。

          塩飴の理由3

          ふと思い返す。今一度訪れた砂ぼこりとタンブルウィードが転がる荒野で。その頃にはないまぜになった想いも気持ちも、小さな飴玉のような結晶になっているだろう。 飴玉を太陽にかざすと複雑に屈折した亀裂まみれの影を落とす。 捨てるのか、飲み込むのか、保留したまま馬車は進む。 これはきっとしょっぱい。そんな気がする。

          塩飴の理由2

          平等に、無情に、流れ行く時の中で、荷馬車に揺られるように、遠ざかる街をぼんやりと眺めている。過ぎた日々を想いながら。街は陽炎に消える。今日も暑い。 いつしか新たな喧騒のただ中で、次の葛藤が現れ、それもまた離れる。

          「バービー」見ました(見てません)

          コイ:バービーを観ました エビ:ドヤった コイ:全方位に等しく喧嘩を売っていて偉いなあと思った。 エビ:そういうのがウケる潮流と? コイ:まあリアルでドライな本音ではあるよね。 エビ:きっと見たらおもしろいのだろうね エビ:とは言えそういうので発散する世の中も気持ち悪いし、そういうの作ってる人も気持ち悪いなぁと思ってしまうのは生理だから? コイ:加熱するフェミニズム、旧来からある男社会、それを腐すのも、真剣に極端な方法でなんとかしようとするのも、まあ建設的ではない

          「バービー」見ました(見てません)

          塩飴の理由1

          打ち寄せては返す波のように、潮の干満のように 心には自分でどうしていいのか分からない揺れがある。 ままならないものだ。

          watashi

          嘘をつかない 隠し事をしない 水のようになりたい 空気のように生きたい 雨のように泣き 風のように立ち 凪のようにたたずむ 選ぶのは私であり、他人ではない 自分の人生は自分の責任だと思う 自分の人生を他人のせいにはしない。 変わらない想いや、変わりゆく環境のなかで それでも自分を生きるには、自分で自分を信じ 自分なりの正しさについて考え続けなければならない。 正しさは人の数だけあり、誰にもそれを強要はできない。