「ねぢ切って捨ててんげり」はエモい
高校時代、受けていた古文授業で一際印象的だった一文、「ねぢ切って捨ててんげり」。
いまからこれを品詞分解しようと思う。
んなわけない。
品詞分解しなくてもなぜこの一文がエモいかってことを説明してみせんとする。つって。
「ねぢ切って捨ててんげり」
このセンテンスの持つ意味自体がエモいというよりも、「ねぢ切って捨ててんげり」をアンカーにして想起される青春期がエモいんだよね。
具体的なシーンが浮かぶくらい、「ねぢ切って捨ててんげり」はあの頃の青春期真っ只中のわたしたちのアンカーとして強烈にエモプールに刻まれてる。
しかも、「ねぢ切って捨ててんげり」を聴くと、古文の授業をちゃんと受けていたあの頃の仲間達の間で、言葉にしなくとも互いの中にそれぞれの思い出として刻まれている共有した時間をともに思い出して、"共感"として郷愁に想いを馳せる度合いがさらに倍増する。
マジでエモい。
具体的で強烈、かつ感情の起伏が大きい青春期に出会った事象は数年後エモいに変わるね。
大人になっても数年後にエモいってしみじみできるような種蒔きしておきたいな。感情をゆさぶるようなたくさんの出来事に出会いたい。出会い系。
エモ実の種蒔き、してますか?
じら
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