【ファンタジー】MIF or MIA?(5386文字)

ここはアコージス王国イーズ領にあるイガマという町。
町とはいえ人工的に拓かれた中心部以外は山に囲まれ、
実際は山で暮らす人々が大半という一帯だ。
そんな場所なので町の面積の割に人口が少なく、
人より野生の鹿の方が数が多いという。

私はイーズ領主エーガン・モタウェアーの娘ローザ。
先日から領内を視察に回る父に同行し、
昨日、イガマに到着したところだ。
今日は町を見て回ってよい、と父に許され、
先程まで侍女のエミィと街を歩いていたのだけれど、
気づいたらひとりになっていた。

町の中心部はさしたる広さではない。
いずれ滞在している庁舎に帰り着けばよいだろうと、
狭い路地を覗いたりなどしていた。
ある路地の奥に進むと壁に囲まれた小さな空間があり、
男が一人、こちらに背を向けて何かしている。
その奥には毛で覆われたもの…
地面には血が滴っているのが見えた。
思わず「あ…」と声が出てしまう。
男が顔だけこちらを向いた。
年の頃はまだ若く見え、私より三つ四つ上なだけに思われる。

「あなたは…そのお召し物からして、
視察に来られた領主様のご息女様でいらっしゃいますか」
「はい。エーガンの娘、ローザと申します」
「道に迷われたのですか?」
「侍女と街を歩いておりましたが、はぐれてしまって。
路地など歩く機会もありませんので
少し覗いておりましたらこちらへ……」
「あなた様のようなご身分であれば、
このようなことを目にすることも
一生避けられたかもしれませんが……
でもあなた様が召し上がる食事が
どのような道を辿って食卓までのぼるのか、
目の当たりにされるのも悪くはないのかもしれません。
我々は生きるものの命を奪い、
こうして細切れにして糧としているのです」

男の声と眼光には冷たいものが混ざっていた。
私の身分を思えば仕方がないのかもしれない。
私は女であるから、
いずれはどこかの同じような身分の家へ嫁ぎ、
そこでもまた、衣食住に関しては
同じような生活が待っているのだろう。

着るものも食べるものも不自由なく用意され、
季節や天候も楽しめる程度の影響しか受けない。
知らないことの多いまま、
ぬくぬくと一生を終えるのだと思われても、
それは紛れもない事実だし、仕方のないことだと思う。
生きるために日々を凌ぐ多くの人のことを
少しでも垣間見たくて、
去年から視察への同行を申し出たけれど、
ただの興味本位だと言われてしまえばそれまでだ。

「…あなたのおっしゃる通りです。
私は知識として持ってはいても
こうして獣が撃たれ、捌かれ、肉となり、
調理されて自分の口に入るのだという実感に欠けていました。
実際に何をこの手でする機会もないのは事実です。
このようにして間近に見られたこと、
よい勉強になりました。
食事の時には今まで以上に感謝しながら
いただきたいと思います」
「ただ怯えたり、取り乱されるものとばかり思っていましたが、
あなた様は少し変わったお方のようだ。
…きっと、お付きの方がお探しでしょう。
あなたはそちらから来られましたが、
庁舎に向かわれるなら、
来た道を戻るよりこちらの道が近道です。
この有様ですのでご案内できず、申し訳ありませんが」
「いいえ、お仕事のお邪魔をいたしました。
お話しくださりありがとうございました。失礼いたします」

教えられた通りの道を進むと再び大通りに出た。
しばらく歩いていると、後ろからエミィが名を呼ぶ声が聞こえ、
私たちは再会することとなったのである。

三週間ほどの視察を終え、城に戻ってしばらく。
私の読書量は以前より増えていた。
本から学べることに限りはあるが、
それでも何もしないよりはいいはずだ。
そう思って書庫の本を端から読むことに決め、
また、エミィ以外の使用人にも
いろいろと町での生活について尋ね聞くようにした。
城の料理人に頼んで料理なども習い始め、
いずれはもっと多くのことを自分の手で行いたいと考えている。

そうこうしているうちに季節は徐々に移り、
紅葉が落ちつつあったある日、城に私宛の封書が届いた。

王宮の冬の茶会への招待状。

私も十六歳なので、
個人として茶会に招かれる年齢なのは確かだが、
それでも少し驚いた。
初夏に誕生日を迎えたばかりであるし、
視察をきっかけに自分としては忙しくしていたから、
そのような機会はなんとなくもう少し先だと思っていたのだ。
茶会はいくらか冬に染まり、
雪にはあと少しという時期に催されるとのことだった。
大雪が降るようになってしまっては
王宮を訪ねるのも難しくなるからだ。
豪雪地帯はとっくに初雪が降ったと聞いている。
そのような地域へは夏と秋に招待が集中するらしい。

招待状を手にしてからの私の心は、
緊張が作る水たまりが常に乾かぬままで、
それをなるべく感じないよう、
読書や習い事の類にますます勤しむようになった。

そうして迎えた茶会当日。
イーズ領は比較的王都アコジスタには近い方で、
馬車を使って朝に発てば開場の時間には充分間に合う。
エミィとふたり、馬車に乗り込み、
あれこれとアコジスタの話で盛り上がながらの道中が始まった。
暇を持て余すこともなく、緊張も薄らいで、
私にはありがたい馬車の旅。
体感としてはあっという間に目的地へと到着する。

幼い頃から共に過ごしているエミィは
もはや友達のようなものだけれど、
当然茶会の会場には入れない。
たまの王都だから楽しんできます
とうれしそうなエミィを送り出し、
私は一人で王宮の門へと向かった。

衛兵に招待状を見せると、こちらで少々お待ちください、
と足を留められる。
ほかの招待客は、
招待状の紋章を確認されるだけで中へと進んでいた。
なにか手違いでもあったのだろうかと、
少しずつ不安と緊張が染み出してくる。

なるべく周りを見ないように、
手元の招待状を見つめていると、
お待たせしました、とアルトが響いた。
軽装だが、腰に剣を携えた女性だ。
「失礼ですが、もう一度招待状を拝見してもよろしいですか」
招待状を差し出すと彼女は受け取り、
腰のポーチから向こうが透けるほど透明度の高い
青い石を取り出した。
招待状の四隅に順繰りにそれを置いていく。
すべての角でそれを終えると、
青い石を元のとおりにしまい、
衛兵に頷くと私をじっと見つめ、静かに口を開いた。

「大変お待たせして申し訳ありません。
わたくしはミシャーヤと申します。
会場までご案内いたしますのでどうぞこちらへ」
ついてきてくださいと言われるまま、
ミシャーヤと名乗った彼女のあとへとついていくが、
それはほかの招待客が向かうのとは別の方向だった。

何が起こっているかよくわからないまま、
少し歩調の早いミシャーヤのあとを必死で追う。
「だいぶ歩かせてしまいまして、申し訳ありませんでした。
こちらの部屋です」

そこは人気のない庭園を横目にして突き当たりの扉だった。
ミシャーヤが扉を開くと、
そこはテーブルセットが中央に置かれた、
少し縦に長い部屋だった。
右手は桟の細工が美しい、天井まで届く窓で、
小さくまとめられた庭園が臨めるようになっていた。
テーブルセットに向かうと、ミシャーヤが椅子を引いてくれる。
「すぐに茶会は始まりますので、
こちらでもうしばらくご辛抱を」

ミシャーヤは静かに部屋を出ていった。
ミシャーヤがいなくなると、
窓の外から聞こえる鳥の声しか聞こえなくなる。
招待客が誰一人としていない。
しかしテーブルの上には確かに
アフタヌーンティーのメニューがたっぷり載った
スタンドが置かれている。

一体何が起こっているのだろう。
王宮の門に着いてからずっと私の胸を重くしている疑問が、
改めてその重みを増した。

長いため息をついた時、背後の扉がゆっくりと開いた。
なんだか怖くて、私はテーブルの上のカトラリーを見つめていた。
テーブルの横にワゴンが止まる。
ワゴンを押していた人物が目の前の椅子に腰掛けた。
「随分と恐縮させてしまったようだ」
男の人の声だった。
ワゴンを押してきたのに、
椅子に腰掛けたことも疑問だったし、
なんとなく顔を上げるのが怖い。

「顔を上げてくれないか。ローザ・モタウェアー」
名前を呼ばれてようやく顔を上げる。
年の頃は三つ四つ上だろうか、
整った顔立ちの青年が微笑んでいた。

「あなたは……」
「私はヤスカ。ヤスカ・ウトガイエだ」
「ヤスカ…様……」
驚いてしまって二の句が告げない。
ヤスカ様といえば、この国の第三王子だ。
ちゃんとお顔を拝見したことはほとんどない。
せいぜい肖像画か、数年前の国の行事で遠目から見た程度。
特にこの二年ほどは他国に留学中と聞いていた。
帰国したという話はなかったはずだが……

青い石のはめ込まれた指輪の紋は確かに第三王子のもの、
アゼリアをモチーフにしたものだったが、
目の前の人の言葉とその指輪しか、証拠らしきものがない。
けれど王宮のこんな場所に
人を呼びつけることができる人間なぞ、
そうそう存在するはずがないことを考えれば、
疑うことは無意味だと気づいた。

「待たせた上、驚かせてしまってすまないな。
きちんと全て説明するつもりだが…しかし」
笑みをいっそう深くして王子は続けた。
「私のことは覚えていないか?」
「私、ヤスカ様にお会いしたことはございません…」
「まあ、そうだな。
あの時の私はヤスカ・ウトガイエではなかった」
「それはどういう…」
「あの時の私は、イガマの町の狩人、
タクト・イーティエだったからな。名乗りもしなかったが」
そのまま、固まった私に畳み掛けられたのは…
「あなたは…そのお召し物からして、
視察に来られた領主様のご息女様でいらっしゃいますか」

イガマの町で入り込んでしまった路地の先で
かけられた言葉だった。
「説明するからそのまま聞いてほしい。
聞きながら落ち着いてくれるといいのだがな…
ああ、茶も用意せずにすまない。湯を沸かしながら話そう」
ポットの下のアルコールランプに火をつけ、王子は話し始めた。
「公には私は約二年前に他国に留学したことになっている。
しかし実際は違ったんだよ。私はずっと国内にいたんだ。
イーズ領イガマにね」
驚きばかりが連続して投げかけられ、
混乱しかけながら私は王子の言葉を追う。
「私は第三王子だ。王位継承からはいちばん遠い。
だがいずれは国政の補佐を行うことにはなる。
王族ともなれば、
国内の真実から遠ざかる向きもあろうかと思ったんだ。
若い内にと思って周りを説得し、留学を騙って王宮を出、
民に混ざって暮らすことを選んだ。
家族を事故でなくし、
遠い親戚であるイガマのある家を頼ってきた
タクト・イーティエという青年として」

ポットの中の水が
気泡を含んだ音を立てるのが聞こえるくらいには、
私の心も落ち着きを取り戻しつつあった。
「それで、あの日君と偶然出くわしたわけだ。
てっきり観光旅行気分で
父上についてきただけのお嬢さんかと思って
随分な口を利いてしまった。
あの時のことは許してほしい。私は結構性格が悪いんだよ」

今私の前では随分と人の良さそうな笑顔でいるが、
確かにあの時の声と目は冷ややかなものだったと覚えている。
「大体の者の身分は持って生まれたもので、
自分の持ち物の中では最も致し方のない部分のひとつではある。
だが、だからといって高い身分にある者が
無知でいていいわけではないと私は思うんだよ。
それは男女も問わないと。
失礼だが、君のことは茶会の招待客を決める頃に
調べさせてもらった。
熱心にいろいろと学んでいるようだね」
「まだ始めたばかりで大して身についてもいませんが…」
「謙遜しなくていい。随分情熱的にやっていると聞いているよ。
その情熱はまだ冷めそうにないかな?」
「ええ、いろいろなことを学ぶことや、
やったことのないことに挑戦するのは楽しいです」
「視察への同行もあれが初めてではなかったんだな」
「はい、去年からです…ご存じかと思いますが」
「ああ、知っている……湯が沸いたようだ」

王子は手馴れた様子でティーポットとカップに湯を注いだ。
「そんな、ヤスカ様の手を煩わせるわけには…」
「君より私の方が上手だと思うよ。
私は紅茶が好きだからこの二年、
随分自分で淹れて飲んだものさ」
少しばかり待ってから、
ティーポットの湯を捨て、茶葉を入れる。
そこへと湯を注ぎ、ティーコージーを被せ、
砂時計を返すとまた席に戻った。
「私は君に興味が湧いたんだ」
目を細めて王子が言う。
そんなに大きな声ではないのに
しっかりと耳に入ってくるように思えた。

「王族であればこのまま、君を妃に迎えると言って
話は終わるものなのかもしれない。
でも、それは私が好むところではない。
そう言ったところで私の身分が変わるわけではないから、
君は非常に断りづらいかもしれないが…」
笑みを苦笑いに変えてからこちらを見ずに言った。
「断ってくれて、構わない」
一度は落とした視線で確と私の目を射る。
「断ったとしても、君や君の父上、イーズ領には
何ら影響がないことを誓って約束する。
安心してほしい。その上で言う。
私と交際してくれないか」

指輪の石と同じ色が私と向かい合わせて在った。
吸い込まれそうにも思うけれど、
自分を失うことはない。
その目が、その目の持ち主が、私を認めているからだ。

「……私、ヤスカ様のことをほとんど存じ上げておりません」
「そうだな。君が知るのは
公式に流れている情報とうわさ話だけだろう」
「元々、生まれた家のことを考えればあまり…
交際や結婚など思う通りにはいかないもの
と思っておりました。
けれど…私はできることなら
心からお慕いする方と人生を共にしたい
という気持ちがあります。
そして、今、それが…ヤスカ様であればと。
ヤスカ様のことをもっと知りたいと、そう思っております」
「ああ…もちろん私を知った上で
先のことは決めてくれて構わない。
充分に吟味してほしいと思っているよ。
私は夏が終わるまではタクト・イーティエとして過ごし、
こちらに戻る予定だ。
できることならもう一度
タクトに会いに来てはもらえないだろうか」
「ええ、ぜひ」
「そうか…とてもうれしい」

その笑みは今まで見た中でいちばん、幼く感じられた。
第三王子は夏生まれで、十九歳であるから、
年相応というのはこういうことだろうと思う。
「さあ、そろそろ砂が落ちる。
待たせてばかりですまないな。
茶が入ったらいただくとしよう。
ちなみにミルクは先か? 後か?」
「後です」
「それはありがたい。諍いの理由は少ないほうがいいからな」

王子の淹れたお茶は本人が言う通りでとてもおいしかった。
悪いけれどエミィよりも上手だと思う。

あとから聞いたところによると
アコージス王国第三王子ヤスカ・ウトガイエが淹れたお茶を
最初に飲んだのは私だったそうだ。
そして何十年もの年月が過ぎ、
彼が淹れたお茶を最後に飲んだのも
私、ローザ・ウトガイエだったのである。

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