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私たちの、きっと、知らない不幸【#異人と同人】

その本をみたとき、ぜったい手に入れたいと思った。

小説家の浅生鴨さん合同誌『異人と同人』だ。

私は普段ニュージーランドに住んでいる。文学フリマにはどんなに歯ぎしりしても行けない。でも『異人と同人』は欲しい。読みたい。そして、できれば紙の本で!

なぜなら、『異人と同人』の執筆陣が豪華すぎる。燃え殻さん、@SHARP_JPで知られる山本隆博さん、幡野広志さん、noteでよく拝見する古賀史健さんやスイスイさん。

手元においてパラパラ読み進めたい。

通販もいいけれど、できれば会場で購入したい。変なこだわりを抱いた私は、正規の裏ルート(当日会場に行く友人にお願いする)という形で、念願の『異人と同人』を手に入れた。

***

真っ先に読んだのが、スイスイさんの小説『ずっと目の前にいる』。

これは、今年の夏にKIRIN×noteで開催されたコンテスト「#あの夏に乾杯」で公開された、スイスイさんのお手本作品の、続編とのこと

noteコンテストのお手本作品は、しょっちゅう、「参加者の創作意欲を殴りにくる」レベルのものが出る。私はスイスイさんのお手本作品を読んで、「鼻血が出そう」ぐらいに衝撃を受けた。

真夏の熱情を吸い上げる疾走感。文字だけで、静と動を行き来しながら、感情をブーストする躍動感。

30代の「私」が振り返る、大学3年生の「わすれられない夏」。それに続く、今回の小説。

彼氏に振られた主人公の「私」は、足の痛みを感じながら、別の日の夏の夕方、大学の友人・笹谷とアパートの一室で鍋をする。

蝉の声と、肌にまとわりつく汗と。

ひゅう、と二人の間を吹き抜ける夏の風が、ほのかに文章から匂い立つ。

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私たちは今起きた出来事には何も触れず、今日はじめて待合せましたという顔でコンビニに寄って、パルムを二つ買って、さっき降りたばかりの階段をのぼり、部屋に戻る。

遮光カーテンで密閉された暗闇で交わされる笹谷との触れ合い。

かのような交わりが記憶に存在する人生とは、どんなものだろう。

失恋の痛みと、縁石にぶつけたくるぶしの痛みと。さいごまでしない肌の触れ合いは、痛みを癒すためなのかもしれない。

手を伸ばし久々にあの夏に触れたらさらさらと澄んで愛しかった。

密着する熱を感じるほどの記憶の反芻とは裏腹に、「今」の私が見つめる「あの夏」の印象はさわやかだ。文字の並びさえ、うつくしい。

しかし、物語はそこでは終わらない。序盤に語られた火のように燃える触れ合いの残り火が、後半、くすぶったように顔を出す。

35歳になって、笹谷と再会する主人公。不思議な重力に絡みとられた空間で、時間が動く。

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幸福」と「不幸」。

なにが幸福でなにが不幸か。私たちは、わかっているようで知らないふりをする。

「あのさ、幸福なんてどうでもよくて、『どんな不幸を許容するか』っていうことが、生きることな気がする」

足元から湧いてくるような黒い影が、ポコポコと閉まっていた蓋を開ける。

笹谷の不幸は、なんだ。

そして、主人公の私は、不幸、なのだろうか。

その日、三時半に帰宅して寝室をあけると暗闇の中、スマホの光を顔面に浴びる夫が起きていて、おいでという。

ここに書かれている言葉が、もし彼女の不幸だとしたら。これ以上、物語はどこに進むのだろう。


意識もせず息をして生きていても、瞬間的に鮮やかな幸せは、心にクリップで止めておきたいくらいすぐに気づく。春の日にほころびはじめた花の淡い香りのような幸せさえ、人はゆっくりと、噛みしめるように味わうことができる。

でも、不幸は。

私たちは、無意識のうちに、不幸をじょうずに隠す。びっくりするくらい、巧妙に。誰にも気づかれないような、深い深い場所に。

ねえ、私は幸せですよと、にっこりと笑うために。

目の前に、黒々とした丸い目がある。心の奥底を覗くような目。薄暗い水の底のような闇が見つめるのは、不幸なのかな。

もし、不幸だとしても。許容した先に、私たちの「生」が残るなら。それって、ほんとに、不幸、なのですか。


***


読み終えたあと、頭の中に夜の森に響く衝突音とブレーキのさびた音が響いていた。スイスイさんの文章は、文字だけで私を知らない場所へと連れていく。

『ずっと目の前にいる』は3部作からなる小説の1本目とのこと。

つまり、続きがある。

主人公の続く日常がどこへ向かうのか、私は見てみたい。彼女が気づく不幸の形と、その先にある日常を。


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