見出し画像

ストックのない日々は、しんどい

先週、風邪をひいた。

娘の風邪が、うつったのだ。

noteの毎日更新をしているので、風邪を引いて倒れてしまうと大ピンチである。37.8度の微熱の範囲なのに、頭がずきずきして寝ているしかない。「けんこうだいいち」以外のフレーズが出てこない。

風邪に倒れたのが先週の木曜日。運よく、前日水曜日の私が頑張ってnoteを3記事ストックし、その週の急ぎの仕事もすべて仕上げてくれた。過去の私よ、ありがとう。

note更新に限らず、こうした余裕というか、バッファのない暮らしはしんどいなと思うことが増えた

20代と比べて体力が落ちたこと(徹夜なんてぜったいにできない)、親が倒れても、世話が必要な子どもがいるというのが大きい。

今回は幸い、夫が元気だった。しかも、仕事が激務ではない。

朝娘と起きて、朝食を作りお弁当を用意し、歯磨きと着替えをさせる。出勤時間が早いので、朝の学童(ビフォースクール)を予約して送り届ける。

夕方には仕事が終わるので、娘を拾って買い物して帰ってきてくれる。夕飯づくり、片付け、娘のお風呂と歯磨き、寝かしつけ、食洗器が終わったあとの食器ふき、洗濯物たたみまですべてやってくれた。

まさにブラボー!!!!である。

娘が産まれてから5年8か月、はじめて「ただ寝ているだけの病人」でいられた。授乳だったり、「ママがいい~」と寝かしつけで泣かれたり、そもそも夜に夫が仕事でいなかったり。

そんな修羅の国みたいな日々を想えば、看病慣れしていない夫が枕元に水を持ってきたり、湯たんぽを用意してくれないことなんて大したことじゃない。

この先、夫が風邪に倒れることがあっても、10年間くらいは今回の愛情貯金でやさしくなれそうな気がする

こうしたことをネットに書くと、「旦那さん、神ですね!」とかいわれちゃいそうだが、夫は神ではなく人間である。

彼にも、仕事10割みたいな日々があった。

娘が産まれてから3年間は自営業をしていたので、リアルに週7日勤務だった。当然、育児に関われる時間も少ない。

世の中の親御さんは言わずとも痛感していると思うが、子どもの年齢が小さければ小さいほど、一人で育児を担うのは無理ゲーである。あっとうまに詰む。

例外なく、私と夫も非常によく衝突した。慢性的睡眠不足だし、子どもから目を話したら死んじゃうし、生活のなかで一息つける瞬間がない。まるでない。

だから「くっそー夫め!!」とか「こんな生活いやだ!」と思うことはあった。でも、夫のことは最終的に父親として信頼していた。それはなぜだろう、と思い返すと、イザというときに夫が動いてくれたから。

娘が2歳半のとき、私は地元の企業でパートタイムの仕事をしていた。夫は自営業で週7日勤務。

仕事を終えたのが午後2時半。携帯を開くと、夫から数回の着信、留守電のメッセージ、ついでに保育園からの着歴も残っている。

娘が保育園で嘔吐したというものだった。パートタイムがはじまったばかりの私は、すっかり携帯を確認するのを失念していた。園に登録してある電話番号から、夫の仕事場に連絡が入ったのだ。夫は店を閉め、私の代わりに娘を迎えにいった。

急いで帰宅すると、暗くしたリビングに夫が眠る娘を抱えて座っていた。数回吐いて、落ち着いたとのこと。一通り事態を引き継ぐと、夫は仕事の後始末に戻っていった。

娘はただのお腹の風邪で、すぐに良くなった。3日後、娘の吐しゃ物を手のひらで受け止めた夫が、同じ症状を発症したのは言うまでもない。

あのとき、夫が一人でやっている店を閉めて娘を迎えにいってくれなかったら。私の職場に、「迎えにいって」と電話をかけてきたら。携帯を確認しなかったことを、「なんで出ないんだ!」と怒られたら。

携帯をチェックしなかったのは私のミスだ。夫から連絡がきたら、仕事を抜け出して迎えにいくこともできた。でも、ものすごく夫に対してがっかりしたと思う。二人親がいるのに、ぜんぶ私が背負わないといけないのかって。

家庭内の分担は、そのご家庭によってさまざまだ。五分五分でわけられたら、それは理想的だなあと思う。けど、現実には仕事の忙しさの波とか、生活サイクルとか、そもそもの家事作業への得意・不得意とか、いろんな要素があってきれいに折半というわけにはいかない。

仕事に専念しなければ!という時期や、生活のためなど、いろんな事情で思うように夫婦そろって育児に参加できない時期もある。

そんな様々な事情と背景があって、夫婦の育児・家事分担が9対1みたいに偏っているご家庭は少なくないと思う。

それでも、せめて緊急時にパートナーを頼れる最後の「余裕」は欲しい。

普段からやってないと、いざというとき頼りにならないとか、緊急時だけ出てきても普段の負担の偏りは解消しないよという話は、もちろんある。

私のなかでは、緊急時にパートナーに頼れることは、普段の不満を消し飛ばす特効薬というより、夫婦が夫婦でいるために最低限必要な条件という感じだ。

「妻が風邪をひいて子供が小さいので、やすみます」とか、「今日は子どものお迎え当番なので、早退します」とか、不可能になっちゃうのはどう考えてもつらい。

産後の恨みは一生続くというけれど、日々の生活で「ありがたい」と感じた感謝だって、同じようにずっと心の中に残るものだ。

ニュージーランドの会社で働いて、赴任してきたばかりの上司が1か月休みをとったり、同僚が「明日はコンサートにいくわ」と有給申請したり。日本的な感覚がこびりついていた私は、「これで休みとっていいんだ…」とびっくりした。

もちろん、誰かが休んだら、ほかの誰かがカバーするのだけれど(もしくは、放置される仕事もある)。

こんなこと言うと、「尻ぬぐいするほうの身にもなってください!」とか意見が飛んできそうだけど。

でも、人間365日働けないじゃん。風邪ひくこともあるし、家庭の事情で働けない日もある。好きなアーティストのコンサートに行ったり、スポーツ観戦したい日もある。

そうやって、自分の好きなことをやって、お互い様だねって思いつつ、余裕をやりとりする社会のほうが、幸せの総量は高いと思うんだよね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?