その手をつなぐまでの距離が消えたら
昨日、ニュージーランドと東京間の飛行機の運行が閉じた。6月30日まで、私が住んでいる国から日本へ向かう航空便はない。
そもそも、3月25日深夜から全土ロックダウンに突入したこの国では、3月末現在、飛行機の利用は、医療や食料といった生活必需品産業に従事する人の利用のみに限られている。
国際空港のある都市まで乗り継ぎを必要とする地域に住んでいる私は、というか、この国の誰もが、いま住んでいる街から出ることは叶わない。
生活は落ち着いていて、空は青く、唯一のお出かけ先のスーパーへは車で行ける。近所の散歩だけは制限されておらず、家の前をたくさんの人が通り過ぎる。
早朝からジョギングする女性、散歩するおばあさん、バギーを押す男性、サイクリングする家族連れ……複数連れ立ってあるく人々は、「同じ空間を共に暮らす人」だとわかる。それ以外の人とは、2メートルの距離を開けなければいけない。
あっという間に世界中で認識されてしまった、手をつなぐことのできないルールだ。
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ニュージーランドで暮らして10年。ここ2年は、在宅ワークですっかり引きこもり。6歳の娘を車で小学校に送り届け、せいぜいスーパーかジムに立ち寄るぐらいしか外出の用はない。家族以外の人と会話をする日なんて、年間で数えて圧倒的に少ない。
だから、引きこもる生活にそこまで苦はない。それでも、毎日昼過ぎのNZ厚生労働省の会見と、午後3時の首相会見のあとは胸がざわざわする。
夕方、散歩がてら夫と娘と家のまわりを歩いた。
ロックダウン中のニュージーランドで、「ティディベアチャレンジ」なるものが流行中らしい。通行人が見えるように、窓際にクマのぬいぐるみを置いておく。散歩している人がそれを発見して喜ぶというもの。
夫から聞いただけの私は、きっと大都市だけで行われているものだろうと思っていた。前を歩く娘は、クマを発見しようと意気揚々としているが、静まり返ったご近所さんがどれほどチャレンジに挑戦中かはわからない。
歩き出して数メートル、最初に目についたのは、パンダのぬいぐるみだった。
「あーー!」と娘の興奮した声が、陽が傾きかけたばかりの足元の影を震わせる。そのお隣の窓辺には、正真正銘のティディベア。そしてそのお隣も……というように、私の予想は見事に外れ、通りの6割以上の家の窓辺に、あらゆるぬいぐるみが置かれていた。
私たちがいる場所から数メートル離れた玄関先でiPad片手に読書をするご婦人が、娘の歓声に気づいて手を振ってくれる。
前からやってきたジョギングする男性は、距離を保って反対側の歩道へと移る。
途中、庭に足場を組んでペンキ塗りの準備をしている家を見つけて思わず笑う。DIYが大好きなこの国では、4週間のロックダウン中、家を整えるのは大事な生活の一部なのだ。
両手で数えきれないほどのぬいぐるみを見つけた娘が、スキップしながら玄関にたどり着く。
多くの人が部屋にこもっていても、そこで暮らしている息遣いがたしかに見つかる。空が夕日に染まってもうすぐ夜がくるけれど、胸のざわめきは静かにおさまっていた。
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不安は伝染する。
不安な言葉たちは、さらなる恐怖を膨らませ、誰かの想像力を刺激してしまう。海の向こうにある場所の今が、自分の周りにやってくるかもしれない未来に思い至ると、心臓が握りつぶされたみたいに痛む。
物を書く人間として、せめて、読む人の気持ちを波立たせない言葉を置いておきたい。
楽観的な励ましや、明るい展望を語る文章でなくても、日常を綴る言葉はどこかで、希望のようなものを運んでくれる。
先日、娘のために小学校のお友達とzoomで話す機会をセッティングした。数日ぶりに顔を見たベストフレンドの存在に、途端に娘の目が輝く。
6歳同士の画面越しの会話は、しゃべり出したら文字通りマシンガンのように、次々と話題を変え、遊びを共有しはじめた。
ロックダウン中に家でやったこと。持っているレゴを見せ合う。お休みが明けたら学校でなにしよっかと嬉しそうに計画を立てる。しまいには、二人で口ずさんで同じ歌をうたう。
この1週間、両親とべったり過ごす娘は、いつも笑っていた。でも友達と話す彼女は、それ以上に嬉しそうで、リビングの一角が本当に喜びであふれているみたいだった。
弾けるような声は1時間近く続き、もう切ろうかと私が言ったら、二人は画面越しにハグして、笑いながらキスして、3・2・1のかけ声で接続を切った。
触れられない友達との遊びの時間に、悲壮感はない。
でも、目を合わせて笑いながら手をつないだり、子犬みたいにじゃれあってハグしたりすることが、まったく失われてしまった時間が、ここに、世界中にあることは、覚えておきたいと思う。
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小さな子どもたちに、「2メートル離れて」の社会的距離は通用しない。だから、いつになるかわからないけれど、学校が再開するのは、きっと少しだけ時間がかかるだろう。
南極の冷たい風が吹く冬か、南半球に桜が咲く春か、どこかで、この国は外に開く。少しずつかもしれないけれど、海の向こうへ渡る飛行機が飛ぶ日がまた来る。
そのころには、いつも通りリュックサックにサンドイッチとリンゴのランチボックスを入れて、8時半の校庭に娘を送り届ける朝になっている。
友達を見つけて、大きなリュックサックを揺らしながら走り出す娘のうしろ姿を見送る。
遠慮なく抱き合って、当たり前に響く子どもたちの笑い声を聞いたら、私はきっと少しだけ泣く。
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