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人を好きになるということ #呑みながら書きました

3回目をむかえた呑みながら書きましたの企画に参加しています。

誤字とか脱字とかあっても、好きに楽しく書くアレ。私は、この企画のたびに呑んでる自家製フィジョア酒のロックを一杯ひっかけてきました。ほろ酔い。

ねえ、恋してます?

いきなりなんだよ、って言われそうですけど。いや、なんか最近界隈で、推しの話がキャッキャうふふとされてるじゃないですか。私自身、特定の推しっていないんです。だから、突き抜けた情熱?っていうんですか、廊下にいても教室から「ぎゃ~~~」って悲鳴が聞こえてきそうなくらいのパワー。あれ、見ててうらやましいなぁ……って思ったりするんです。

恋はしていないけれど、恋で胸がぐわんと揺さぶられる感じ、アレを味わいたい。いますぐ。

そんなとき、私は小説を読みます。妄想と想像の世界へいざダイブ。

吉本ばななの『うたかた』です。読み始めて数ページで、「えっ……これ、読み終わったらドキドキして恋したくなるやつでは……?」と感じた予兆は、見事ヒットしました。好き。

ざっくりあらすじ。人魚という女の子と、嵐という男の子が出会って、互いに愛情を確信するお話。

嵐は人魚の別居しているお父さんと一緒に住んでいるとか、一度もあったことがないのに、大学生の人魚が街中ですれ違った嵐に気づくとか、あえて解かない糸みたいのがたくさん編まれてます。

それでいて春の風のように吹き抜ける読後感を味わせてくれる作品。人を好きになるという、その気持ちを、ピンセットで拾い集めて標本にしたような言葉がはさまれていて、胸をキュンとさせてくれます。

人を好きになることは本当にかなしい。かなしさのあまり、その他いろんなかなしいことまで知ってしまう。果てがない。嵐がいても淋しい、いなくてももっと淋しい。いつか別の恋をするかもしれないことも、ご飯を食べるのも、散歩するのもみんなかなしい。これを全部”嬉しい”に置き換えることができることも、ものすごい。

ねえ、辞書で「恋」って引いたら、これが載っていてもいいんじゃない?

人を好きになるということは、どういうことなんでしょう。ひとりで小説を書いていて、この恋はどこへいくのだろう?と考えたりします。

たとえば人生のある時期に、一緒になって、隣にいて。いつ離れてしまうかなんてわからなくて。でも好きでいる気持ちって、何を求めてるのだろう?みたいな。

作中に、嵐が母親について語ったとき、主人公の人魚が感じたモノローグがあります。

私はショックを受けた。こんなに近くにいても、どんなに優しく過ごしても、彼の心の一部はまだ、夜よりもずっと暗い、とりかえしのつかない深い所にひとりでとどまっていて、その暗黒には誰もたどり着けないのだ。
そういうことが少しずつ、いつの間にかその闇に届くことがあるとしたら、それはとてもいいことかもしれないと私は感じた。

見えているようで、触れることのできない心の奥。でもいつか、そこに届くのかもしれない、特別な距離感。

誰もが恋をしたときに、感じたことのある、二人でいるのに一つになれない淋しさと、離れて眠る夜にそれでも近くにいる温かさ。

そういう二つの気持ちを、時に両方飲み干してしまうのが、もしかしたら、人を好きになるってことなのかもしれないよね。できるなら、いつもやさしくありたいね、って相手のことを思いながら。

なんて、恋について書いていたら、眠くなってきました。時差があるんです。ニュージーランドは4時間早い。

恋っていいねとか、人を好きになる云々とか、会って飲んでる席で話したら盛り上がるけど、対面だと表情とか声のトーンとか、言葉以外の情報量が多くて、逆に「いい……!」の一言で伝わっちゃう。

それもとても楽しいのだけど。でも、たまには恋バナみたいな文章を綴るのもいいよね、なんて思ったんです。せっかくの呑み書きなのだから。


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