相死の円、相愛の環(短編/現代恋愛)

 ◆  

 くるくると回る様に二機がお互いの背後を取ろうとする。君は戦闘機のパイロットである。吹けば飛ぶ様な小国の空軍士官だ。腕は良い。井の中の蛙かもしれないが。

 そんな君は、自身と同じ様な吹けば飛ぶ様な小国のパイロットが駆る戦闘機と命懸けの追いかけっこをしている。相手の腕も良い。もしかしたら、君よりも。

 敵機の背後を取れば生き、取れなければ死ぬ……ドッグファイトとはその様なものだ。そう、死んでしまう。

 ──こんな寒々しい、冬の空で

 冷たい碧空に押しつぶされそうで、君は吐き気を懸命に堪えた。慢心の反動だ。君は腕が良く、大抵は強者として弱者を狩る側であった。故に自分は死なないのだという慢心が生まれ、それが同格の相手を前にして現実を突きつけられたのだ。死が誰にも等しく訪れ得るモノだと。

 心の臓が気の触れたリズムを打ち、しかし染みついた操縦技術が君を生かし続ける。だが不意に爪先に "冷え" を感じた。それは少しずつ上へ上へとのぼってくる。その速度は緩やかだが、君の表情はくしゃりと歪む。

 君はこの "冷え" が気温に起因するものではないと感得したからだ。この "冷え" は心の冷え、命の冷え。これが膝までのぼり、腹までのぼり、胸、喉、そして頭に達するとどうなるのか。

 ──俺は死ぬ。駄目になってしまう。怖くなって、怖くなって。死にたくないと叫びながら頭がおかしくなって、結局死んじまう

 君はそのことを理屈ではなく感覚で理解した。後何度回れば背後を取れるのか、もしくは取られるのか。生きるのか、死ぬのか、死ぬのか、生きるのか。君は脳をかき回されているような気分を覚え──……ふと、去年の今頃の事を思い出した。

 ◆

「ねえ、手袋忘れちゃった。手が冷たい」

 恋人が急にそんな事を言う。デートの最中の事だった。その日は寒かった。冬というのは基本的に寒いのだが、その日は普段よりずっと寒い日だった。君は苦笑しながら右手を差し出し、恋人の左手をとる。

 手を繋ぎ、暫く歩くと今度は「もう片っぽは?」などと言い出し、繋いでいない自身の右手を見遣る。

 恋人の言っている意味が分からずに怪訝な表情を浮かべると、恋人は黙って君の左手を自身の右手で掴んだ。君と恋人は環になって、路上で立ち止まる。

「どうやって歩くんだよ」君はそう言うが、妙に胸が温かい。

「こうして歩けばいいじゃん」恋人にリードされる形で、君と彼女はくるくると回る様に道を歩く。そして案の定、二人して転んで尻を打った。君は苦笑しつつ、恋人の手を取って立たせてやった。

 ◆

 死のドッグファイトからあの事を思い出すなんてどうかしていると思いながらも、君の胸にはポゥと火が点った。そして、恋人の事を思う。開戦が決まり戦地へ向かう事になった君を、恋人は震えながらも笑顔を浮かべて激励してくれたではないか。まあ最後の夜かもな、などと君が茶化すと恋人は本気になって怒ったが。怒った恋人を宥める為、君はベッドで一頑張りしなければならなかった。

「馬鹿だな、俺の腕がピカイチなのは知ってるだろ? 死なないさ。生きるのは俺、死ぬのは敵だ」そんな言葉がどれだけ薄っぺらいものだったか、今ならば君にも分かる。分かるからこそ、より強く決意する。

 ──帰るぞ

 君は歯を食いしばり、操縦桿を握り締めた。"冷え" はもう感じない。胸の奥の火の熱が全身を巡っているからだ。君の瞳は生への渇望でギラつき、敵パイロットにとってはこの世でもっとも危険な光を帯びた。

 そして──……

 ◆

 所詮は小国同士の戦争である。大国からすれば紛争ですらないかもしれない。結局、中立国の介入により両国の戦争は僅か7日で終結した。戦勝、戦敗のスコアもつかない。両国は年中小競り合いをしては仲裁されている。今回の和平はどれだけ持つか…ちなみに最長は5年だ。

 終戦から3ヶ月後、君はとある事情で軍を退役し、のんべんだらりとした生活を送っている。

 君は新聞を読みながら寝室に目を向けた。君の恋人、いや、妻は未だに起きてこない。「もう午後だぞ……」と君はブツクサ言いながら、マグカップに残った珈琲を見て、右手でカップを掴もうとして失敗する。右手がもう使い物にならない事にまだ慣れていないのだ。

 傷痍軍人となった君が戦争に往く事はもうないだろう。とはいえ後進の指導などは出来る為、無職の侘しさを味わう事も無い。君にとってこれは大きい。独身と妻帯では職の重みが違うからだ。

 君は左手でカップを持ち、珈琲を飲み乾す。そして、妻を起こしに寝室へと向かった。


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