悪の函(ラノベ/短編/現代ホラー)

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 僕は幼い頃から "星の巡りが悪い人" だった。

 とにかくツイてないのだ。

 特に虚弱でもなく遺伝的な疾患があるわけでもないのに、大病を何度も患っては家族を蒼褪めさせてきたらしい。

 そんな僕だが、ある日を境に少しはマシになった。

 マシというのは、直接的に大怪我をして死にかけたり、大病を患って死にかけたりはしなくなったという意味だ。

 今ではちょっと運が悪いかな、という程度。

 でも昔は酷かった。

 いつ死んでもおかしくない……そういうレベルで不運だった。

 不幸の総量は決まっているとか幸せの総量は決まっているみたいな話をどこかで目にした事があるが、それが本当なら僕の不幸の総量はとんでもない量になっているに違いない。

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 僕には母がいる。

 僕の母だけあって、やはりツイていない人だった。

 母はもう50過ぎだが、若い頃は幼い頃の僕と同じ様に色々と事故に巻き込まれたり、大きな病気で苦しんだりしてきたらしい。

 過去形である。

 現在の母はピンシャンとしており、風邪を引くにしても常識の範囲内でひく。

 雪の日に滑って打撲したりするような事はあっても、事故や事件などは巻き込まれたりといった事はない。

 そんな母がある日、僕に "箱" をくれた。

 あれは小学校1年生か、2年生か、はたまた3年生の頃だっただろうか。

 いつ貰ったかは余りよく覚えていないが、どんな箱だったかは今もよく覚えている。

 ルービックキューブより二回りほど大きく、黒味がかった艶のある色合いをしている箱だ。

 ──『これは私のお母さん、あなたのおばあちゃんから貰った箱なんだけれど。"本当に悪いモノ"を吸い取ってくれるんだって。あなたも私に似て星の巡りが悪い様だから。だからあげる』

 そんな事を言いながら母は僕に "箱" を手渡した。

 母曰く、お守りとの事。

 そういえば母は気になる事も言っていた。

 ──『"本当に悪いモノ"を全部吸い取ったらその箱の役目はおしまい……っておばあちゃんは言ってたわ。それと、この箱はとても頼りになるけれど、ずっと持っていてはいけないって。大きくなってきたら"本当に悪いモノ"が漏れ出す前に手放しなさいって。燃やしてもいいし、埋めてもいいし、とにかく手元に置いておくなって』

 木で出来た箱が大きくなんてなるわけがない、幼い僕でもそう思った事は覚えている。

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 お守りがどれほどの効力を発揮したかは知らないが、それを境に僕の不運は一応の落ち着きを見せた。

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 小学校を卒業し、中学生となり。

 一つ二つと青い恋をしてそれが破れ。

 そして高校生となって今の妻と出逢って恋をしたが、漫画や小説にかかれるような山も谷もなく普通に恋を楽しんで居たと思う。

 一緒の大学に行こうねと約束し合い、そして無事に一緒の大学に合格し、就職しても付き合いは変わらなかった。

 この辺は互いに都内在住だからというのもあるのだろう。

 これが地方とかになると、やれ上京だ遠距離恋愛だとドラマが生まれる余地もあるのかもしれない。

 僕と妻の恋はエンタメ的にはつまらないだろうが、とまれ平穏無事に進んで行った。

 結婚を意識したのは割と早い段階だ。

 時期的には就職してから5年程経ったあたり。

 精神的には恋が愛に変わった事を自覚したあたりで。

 これは母からの教えだが、相手の良い所が良く見える間は恋で、相手の大まかな欠点が見えてそれを許容出来るようになる事を愛と呼ぶらしい。

 僕も妻も完璧な人間とは程遠く、多くの欠点を抱えていた。世の中には愛すべき欠点などという言葉があるが、僕はそんなおべんちゃらは糞くらえだとおもっている。

 愛すべき欠点なんていうものは存在せず、欠点はただ欠点であって不快なだけだ。

 しかし、僕も妻も互いの欠点で不快になるとわかっていても、離れ離れになる事の不快感よりは余程マシだという事で一緒になる事を決めた。

 ところで、気になる事もある。

 それはちょっとした不運のその時々で、箱が少しずつ少しずつ大きくなっていっている……気がするのだ。

 気のせいかもしれないが。

 気のせいだと信じたいが。

 大きさを測っておけばいいじゃないかという向きもあるのだが、僕はそれをしたくない。

 確認しなければならない事ではあるが、目に入れたくない現実みたいなものが世の中には沢山ある。

 例えば各種支払いの封書の中身を確認する時のそれだとか。

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 ともあれ、僕と妻は結婚した。

 二人の間に "今" を燃やしつくすような熱い何かは無かったが、"先" を照らすほの明かりの様なモノはあった様に思える。

 そして1年が経ち、2年が経ち。

 その間、良い事もあったけれど悪い事もあった。

 中でもとびきり悪かったのは、妻が子供を為せない体だと分かった事だ。

 妻は泣き、悲しみ、僕に詫びた。

 ここでドラマだか小説だかなら、口では許しても内心では残念に思う気持ちが相手に伝わったりして一波乱あったりするのだろうが、僕たちの場合はそうはならない。させない。

 僕はひたすら妻の精神状態が心配で、妻に対する他意は一切ないと断言できる。

 それを伝えると妻も少しずつ落ち着きを取り戻し、まあ変な話、僕らは以前よりもずっとラブラブになった。

 ラブラブはもう死語らしいが、そんなのはどうでもいい話だ。

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 ただ、妻に対して全ての思いを打ち明けたわけではなかった。

 僕は妻に絶対に悟らせてはならない類の感情を抱いている。

 それは、安堵だ。

 妻が子供を為せないと聞いた時、僕は心の奥で安堵した。

 僕の事を酷い男だと思う者もいるかもしれないし、僕自身も自分の事を酷い男だと思う。

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 ところで話は変わるが、件の箱に対しての僕の推察を話す。

 僕の祖母も恐らくは"星の巡りが悪い人"なのだろう。

 だがあの箱が "本当に悪いモノ" とやらを吸い取り、祖母は平穏な人生を送った。

 だが祖母の娘である母は祖母と同様に"星の巡りが悪い人"だった。

 そんな母を憐れんだ祖母は、母に箱を譲った。

 そして "本当に悪いモノ"が吸い取られ、母もまた平穏な人生を送る事ができた。

 で、僕だ。

 僕は母から箱を譲られ、恐らくは"本当に悪いモノ" を箱に吸い取られ、こうしてなんとか幸せを掴めている。

 じゃあ僕の子供はどうなるのだ?

 箱を譲ればいいだろうと思う者もいるかもしれないが、それはもう出来ない。

 なぜなら燃やしてしまったからだ。

 都心だとたき火をする場所がないから、わざわざ奥多摩のキャンプ場まで行って燃やした。

 まあ遠いには遠いが、電車で片道2時間といった程度だ。

 なぜそんな事をしたのかって?

 かつてルービックキューブより少し大きい程度だった箱が、その倍くらいに大きくなっていたからだ。

 燃やす時、悲鳴や絶叫、唸り声……気が狂いそうになる何か、もしくは誰かの声が聴こえた事は記憶から消したい所だが、この先もずうっと覚えているだろう。

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 僕は今でもふと思う。

 もし子供が出来ていたら。

 もし子供が僕みたいに"星の巡りが悪かった"なら。

 もしあの箱を譲っていたなら。

 もし、 "本当に悪いモノ" が──……祖母と母、そして僕の三代に渡る "本当に悪いモノ"が漏れてしまったら、どんな事が起きたのだろうか、と。

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