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『夢・スフィンクス楼・Tの死』1946アルベルト・ジャコメッティ の読書感想文

『私は私の心を動かしたものをもっと正確な、もっと印象的な仕方で語ろうと試みた。』

感覚と言葉との関係。
どうにか言葉にしたくて、言葉にしてみて、いや、これはうそだなー ぴたっときてない、しっくりこない、こういうことじゃない、違う。と感じてからが長い。
でも少し置いておこうと思って長く寝かせ過ぎてもうまくいかない。
言葉にするタイミングというのはあるようだ。

そもそも言葉にしないとおさまらないのはなぜか。

伝えたいからか。
確かに、共感・共鳴はエネルギーになる。

きりをつけたいからか。
確かに、言葉にすると一区切りつく。
区切りをつけてしまうのが何だかもったいないときもあるけど。

アルベルト・ジャコメッティは画家でも彫刻家でもあるから、彼の表現媒体はいろいろある。
そのなかで、言葉は少なくとも一番にはならないと思うけど、そんな人でも、言葉であらわしたい衝動に駆られるのはなぜだろう。

『ポンペイ行きの列車、ペストゥムの神殿。しかしまた、神殿の大きさ、円柱の間に立ち現れる人間の大きさ。』
『このことは私をひきずって、人間の頭の大きさ、いろいろの物の大きさ、物と生きている存在との関係並びに相違について語らせた。』 
『突然、私はすべての出来事が私の周囲に同時に存在しているという感情をもった。時間は水平の円環になった。時間は同時に空間だった。』

過去・現在・未来で分けるのは乱暴かもしれない。
感じ取れるものしか存在しない。感じ取れれば存在する。過去だろうが未来だろうがいまここにある。ような気がする。
いまっていつなのか。ここってどこなのか。

『それはほぼ半径二メートルの、線によっていくつかの区劃に分たれた円板だった。それぞれの区劃にはそれぞれの出来事の名前と日付と場所が書き込まれていて、円の縁のところにはそれぞれの区劃に対して一枚の板が立っていた。違った幅のこれらの板は虚空によって互いに引き離されていた。』

ジャコメッティのたどりついた語り方。
半径二メートルというのは、出来事をそのくらいの距離に感じているということか。
ジャコメッティの絵によると、円板には短い足がある。つまりそれほど高くないが、高さがある。

まるで円墳と埴輪。

楯築墳丘墓(たてつきふんきゅうぼ。岡山県倉敷市の弥生時代の墳丘墓)のほうが似ているかもしれない。
円丘部径約40m、高さ約5m、南西突出部約22m、北東突出部約18mで、全長約80m。円丘頂に、大きな石が立てられていた。

(参考:「吉備の弥生大首長墓・楯築弥生墳丘墓 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)」福本 明2007新泉社)

楯築墳丘墓にも「円板」はある。「円の縁の板」には石が該当しそうだが、残っている石だけでは、輪になっているとは言い切れない。

楯築墳丘墓の調査開始は1976年。
1966年に他界したジャコメッティは知る由もない。

ストーンヘンジも似ている。環状列石。
こちらは明らかに輪になっている。だが、土台の円部が盛りあがってはいないようだ。
ストーンヘンジの存在は、ジャコメッティも知っていたかも。

「円の縁に立てものをする」というのは、人間の深いところから出てくる表現か。

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『夢・スフィンクス楼・Tの死』
著者/アルベルト・ジャコメッティ
1946年発表

現在この文章が収録されている本のなかで入手可能なのは、以下の本のようです。
『ジャコメッティ エクリ』(アルベルト・ジャコメッティ1994 みすず書房)
『ジャコメッティ エクリ』【新装版】(アルベルト・ジャコメッティ 2017 みすず書房)

ちなみに、『ジャコメッティとともに』(矢内原伊作1969筑摩書房)にも収録されていますが、絶版。

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以上、『埴輪のとなり』掲載のページを修正し再掲しました。

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