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「逃げるは恥だが役に立つ」を考える~(1)“ぜんぜん「我慢」というものをしない”内田樹さん

ごめんなさい、あのドラマ・漫画の話ではありません。そうではなく、様々な困難から「逃げる」ことについて、「それもいいんじゃない?」とススメるものであります。なぜなら、私は、「逃げる」自分を認め、ある意味「諦めた」ことで、だいぶ楽になったから。

「逃げる」ことは、現在、あまり推奨されていません。体育会系のアツいおにいさんは「なぜ諦めるんだ、逃げるな!」と呼びかけ、気弱な少年も「逃げちゃダメだ」と自分に言い聞かせる。「困難に立ち向かう」ことを通じて、人はひと回り成長する、と考えられているようです。

それは、正しい、と思います。

でも、立ち向かい、強さを鍛えるよりも大切なものもある。たとえば、自分や家族の、体や心。この優先順位を間違えると、ときに取り返しがつかないことが起こる。生物というものは、個体差はありますが、刺激が過度であれば、死んでしまうのです。

「逃げる」ことの中で、「不愉快な人間関係から逃げる」ということを良しとしておられる思想家が、内田樹さんです。フランス現代思想の思想家で、武道家の内田さん。平易で、女子大の(元)教授という経験が生きた著作の数々、愛読しています。
(参考文献:『疲れすぎて眠れぬ夜のために』

内田さんは、ほかの著作にも書いておられますが、“ぜんぜん「我慢」というものをしない人間”だそうです。なんでも「我慢」をしていると、腕に発疹が出てしまうんだとか。

家族関係でも、我慢をしなかった。思春期に父親との関係がうまくゆかなくなりかけたときには、家を離れる(半年間の家出と、一時帰宅からの大学での寮暮らし)選択をすることで、父親との同居に耐える選択はしなかった。営業マンをしていたときも同様。不愉快な人と会うと、発疹が出るから、相手に「具合が悪くて」と言って、後ろも見ずに逃走してきたとか。

内田さんは、”「不愉快な人間関係に耐える能力」を人間的能力の一つだと思い込むことは、現代人のもっとも危険な誤解のひとつ”といいます。なぜなら、「耐えること」が自分の中心になってしまうことで、それ以外の能力や生きるためのエネルギーが、耐えること自体に費やされてしまうから。そして、一度でも、その「耐える」自分を認めて、生き方に意味を見出してしまうと、その後の人生でも、「耐える」生き方を選択し続けてしまうから。

「我慢をせず、不愉快な人間関係から逃げる」生き方、どうでしょうか。
この「我慢をすると発疹が出る」体質、何気に大変ですよね。勤め人経験者からすると、なかなかマイナス面の多い体質に思える。同僚が、営業先からそういう理由で帰ってきたりすると、その他の仕事ぶりにもよりますが、困った人に思えてきそうです。

けれども、確かに、不愉快な人間関係に心が乱されることや、我慢をしていて体調に影響が出ること、私はあります。そして、どうも、いわゆる「仕事のできる人」を見ると、そういうストレスからうまく逃げているように思えるのです。適当に聞き流していたり、ほかの「楽しい相手」との仕事に集中して紛らわせていたり。部分的に「逃げ」を上手く活用しているように感じます。「ストレス耐性が高い」とは、そういう「逃げの活用のうまさ」なのかもしれません。

まとめると、その環境に居続けるならば、「部分的に逃げる」手法を習得し、それができない場合には、「我慢しない」でもいい環境や生き方を模索するのが、良いことのように思います。

少し長くなってしまいました。次回は、生物の観点から「逃げること」を考えたいと思います。主役はメダカ。

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