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「遅れてきたGS(グループサウンズ)14 ~昭和グラフィティ~」

昭和41年(1966年)~@金沢

「あーあー、プール入りたかったなぁ」
ため息をつく博臣の側で、明はどう返答してよいか迷っていた。
実は、明はプールには入りたくなかったのだ。
「海水パンツ一丁」(こういう言い方が明の周りでは一般的だった)で、こんな陽光の下にさらされるなんて、恥ずかしすぎると思っていた。
二人とも左肩にBCG接種の跡がくっきりと浮き出ていた。

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BCG接種の事を、当時、「ハンコ注射」と呼んでいた。
「僕なんかプラスマイナスだったんだよ」

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ツベルクリン反応の結果がプラスとも言えるし、マイナスともいえる微妙な数値でプールに入れなかった博臣はこうぼやいた。
「なんだ、二人ともプール駄目なのか!」
ホイッスルと共に上がってきた由美が二人の傍にやってきた。
水着から水滴がぽたぽた落ちている。
「はい、お腹つけてうつぶせぇ!」
教師の指示で、気持ちよさそうに由美も甲羅干しをおこなう。
彼女の左肩にもハンコ注射の跡がくっきり残っていた。

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三人が通う小学校にはプールがなかった。そして、彼らが卒業するまで、プールが作られることはなかった。
そのため、水泳の授業は学校から一番近い市営プールまで、炎天下を30分くらいかけて歩いて行かなければならなかった。
6年間、プールの授業には、ずっと。
朝、雨が降っていると、担任の先生が
「今日は残念ですが、プールの授業は中止です」
と教室で宣言する。
多くの子どもたちは「エー!」と残念そうな声を上げるのだが、博臣のようにプール不可の子どもたちは内心ほっとするのだった。
一方、晴天になって
「今日はプールの授業があります」
と先生が言うと多くの子どもたちは「やったー」と大喜びするのだが、プール不可のこどもたちは、これから歩いてプールに見学に行くだけの辛さを憂鬱に思うのだった。
朝の会が終わると、プールカードの提出。その後、すぐに校庭に整列して全学年で出かける。
1・2年生は一番浅いプール、通称、「赤ちゃんプール」で水遊びに毛が生えたような活動。
3・4年生は25メートルプール。
5・6年生は50メートルプール。
「50メートルプールの真ん中は、深さ2メートルなんだぞ」
と集団登校の班長さんが言っていた。
「背が立たないところで泳ぐのって、怖くないんだろうか?」
高学年になった時のことを想像して、思わず博臣は身震いする。
「でも、五年生になったら、きっと怖くなくなるんだろう。だってその頃はもうお兄さんだから」
と自分を無理に納得させるのだった。
ホイッスルが鳴って、ようやく終了時間となった。
ところが、子どもたちは自由時間が楽しすぎて、なかなか水から上がって来ない。
飛び込み禁止なのに足から飛び込んでしまい、自由時間を剥奪されて、ずっとプールサイドに立たされていた面々は仏頂面をしている。
これからみんながシャワーを浴びて着替えが終わって出てくるまで、見学組は炎天下の駐車場で待たなければならないのだ。
その後、ようやく学校に戻るわけだが、これだけで午前中はつぶれてしまう。
子どもたちは水に入って疲れてしまい、どうしても帰りはダラダラと歩きがちになる。
「うえをむ~いて、あるこーおおお」

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「したをむ~いて、あるこ~おおお」
「~ひと~りぼおっちのよる~」
ダラダラ歩きの流れで、1組最後尾の博臣と2組先頭の明が一緒になり、自棄になって「上を向いて歩こう」の替え歌を歩きながら歌っていたところ、突然、
「違うね。ひとりぼっちじゃないよ。ひとりぽっちなんだよ」
2組の知らない子が博臣に因縁をつけてきた。
「ええっ、ひとりぼっちって言うよ」
博臣が抗議すると、
「歌の歌詞はね、ぽっちってなってんだよ。お兄ちゃんが言ってたんだぞ」
とまた言い返された。
「大体、1組の博臣がどうして2組の所まで来てるんだよ」
「ちゃんと並んでないと先生に言いつけるぞ」
「こっちはプールバック持ってんだぞ。お前ら手ぶらで歩いてるくせに、ダラダラしてるんじゃないぞ」
「大体お前ら泳いでないじゃないか。こっちは疲れてんだぞ」
などといった訳のわからない意地の悪いやつらの攻撃に、博臣は頬を赤らめて慌てて自分のクラスに避難した。
いじめっ子たちは、自分のクラスの明に対してはそれ以上攻撃しなかった。

一人っ子の博臣も明も、こういった悪口に慣れていなかった。
学校で初めて耳にする悪口も多く、学校には、悪口の学習に行っているようなものだった。
この頃の子どもの悪口の代表的なものとしては、
「デーブデーブ百貫デーブ、電車に轢かれてペッシャンコ、医者、医者呼んでも百貫パンツがビーリビリ」
などがあり、さらにこれに、
「デーブデーブ百貫デーブ、お前のかあちゃんデベソ」と続く場合もあった。
博臣も明もそんな風に言われて唖然としているだけだったが、由美だけは
「私のママはガリガリだよ。お前、うちのママのおへそ見たことあんのかよ!」
と負けずと言い返していた。
「泣き虫毛虫、挟んで捨てろ」というのもあった。
泣き虫博臣はまず、「お前のかあちゃんでべそ」で泣きべそをかき、(「でべそじゃないのに、でべそと言われたお母さんが可哀想」という思い)、その後「泣き虫毛虫」で完璧に泣かされるのだった。
「いつ言った?何時何分何秒?」
というのもあった。
由美は
「言えるわけないだろ。バッカじゃないの」
と言い返すことが出来たが、明と博臣はまず口ごもり、それから「何時何分何秒だっけ?」と取りあえずは考えてみるのだった。
冷やかしの中には満更でもないものもあった。
相合傘がそうである。

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博臣は初めて相合傘を描かれた時のことを覚えている。
自分と由美の名前を描かれたので内心ちょっと嬉しかったのだが、怒った振りをして仕返しに相手にも相合傘を一生懸命描き、その下に名前も書いてやったのだった。しかし、
「相合傘は一筆書きで書かないとダメなんだぞ」
と相手から言われ、ここでも「一筆書き」という技を学んだのだった。

次の年から、博臣も明も、晴れてプールに入れるようになった。
例によって、母親が水泳教室に通わせて一通り泳げるようになっていた博臣は喜んで参加したが、明の方は小・中学生の6年間、一度も学校の体育の授業でプールに入ることはなかった。

(続く)

(文 宮津 大蔵 / 編集・校正 伊藤万里 / デザイン 野口千紘 )
*この物語はフィクションであり、実在する人物、団体、事件等とは一切関係ありません。
 
*以下の方々に、写真・エピソード・情報・アドバイス等提供いただいて「遅れてきたGSは書き継いできています。ご協力に感謝してお名前を記させていただきます。(順不同)

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