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遅れてきたGS(グループサウンズ)15 ~昭和グラフィティ~

昭和41年(1966年)~@金沢

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大和デパートの地下食料品売り場。
回るお菓子売り場の傍で明は目を輝かせていた。
「どれと、どれと、どれにしよう?」
彼はこのお菓子売り場の量り売りコーナーが大好きだった。
色とりどりのキャンディーやチョコレートが目の前を流れていくのに、つい目を奪われてしまう。
おとぎ話に出てくる「お菓子の家」があったら、実際に住んでみたいと思うくらい明はお菓子が大好きで、それは終生変わることはなかった。
この頃、特に好きだったのは「ウイスキーボンボン」。
「ウイスキーボンボン」を嫌いという子はまだ赤ちゃんで、これを好きな子はちょっぴり「大人の子ども」だと思っていた。

由美のお気に入りは、不二家パラソルチョコレートとペンシルチョコレートだった。

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チョコレートが傘や鉛筆の形をしてるなんて!

由美はそのデザインの奇抜さに狂喜した。このデザインを考えた人は天才だと本気で思うのだった。
「英語で鉛筆ってなんて言うか知ってる?」
「知ってるよ。ペンシル!」
「じゃあ、傘は?」
「パラソル!」
「ブブーッ!アンブレラって言うんだよ」
「えー、じゃあ、なんでパラソルチョコレートって言うんだよ!」
「それはね……」
などというやり取りをしながら、子どもたちは言葉の知識を獲得していったものだ。

博臣はお菓子よりも、お菓子に付いている“おまけ”の方が好きだった。
明治マーブルチョコのアトムシールや、

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「狼少年ケン」のケンキャラメルのおまけ、

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そして当然のようにグリコのおまけ。

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博臣の場合はお菓子が好きだから買うのではなく、付いているおまけ欲しさに買うのだった。

風船ガムというのも流行った。
由美も明もすぐに膨らますことが出来たが、博臣だけは何回トライしても出来なかった。博臣の不器用さはこんなところでも際立っていた。

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みんな出来るのに自分だけ出来ない。
悔しくて何度も挑戦しているのに……どうしても出来ない。
とうとう博臣は風船ガムを買うことをやめてしまった。
そのかわり、クールミントガムが好きになり、友達が「辛い!」と敬遠する度に、自分は彼らよりずっと大人だと優越感を感じていた。
「こっちは『お口の恋人』だもんな。それに引き換え、風船ガム、膨らませて喜んでるなんて、みんな子どもだなぁ」
と心の中で負け惜しみをつぶやくのだった。

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お菓子のお供は、大抵カルピスだった。
多くの家庭の冷蔵庫には、カルピスが入っていた。

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「ふ~ん、初恋の味かぁ」
と思いながら、コップに適量を入れる。その後、好みに合うように水を入れ、かき混ぜる。

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プレーンな白いカルピスだけでなく、オレンジ味やぶどう味のものもあった。
それらは希少価値が高く、子どもたちはこぞって飲みたがった。
お中元でカルピスセットをいただくと、みんな大喜びで開けるが、オレンジ味やぶどう味が入っていることは稀だった。
友だちが来てもオレンジは出さないで取っておく。だから、他人の家で飲むカルピスは、まずベーシックな白だった。
何か特別なこと(テストが百点とか)があった時に、
「ねーねー、オレンジカルピス飲んでいい?」
「仕方ないわね。あまりたくさん入れちゃ駄目よ」
というやり取りの後、ようやく飲むことが出来た。

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カルピスの濃さを自分好みに出来たら、最後に氷を入れる。
冷蔵庫から氷を取り出すのが、また一苦労だった。
冷凍室ではなく、製氷室。
製氷室は、冷凍室と違い、アイスクリームは長い時間、保存できない。しばらくすると溶けてしまう。
子どもの力では、製氷皿をはがし取るのも一苦労。
何とか取り出せたとしても、流水をかけながら上部についているレバーを力ずくで引きはがすのが大変だった。
こんな大変な思いをして、ようやくコップに氷を入れることが出来る。
しかし、これで終わりではない。
製氷皿に水を入れて、それをまた製氷室に戻さなければならないのだ。
たくさん水を入れすぎると、運んでいる途中でこぼれてしまう。
しかし、こぼさないようにと水を少ししか入れないと、小さな氷しか出来なくて家族から叱られるのだった。

1970年代ころから、カルピスのTV向けコマーシャルソングに、アメリカの「オズモンド・ブラザーズ」の曲が起用されるようになった。
特に七男のダニーの人気はすさまじく、「ミュージックフェア」や「夜のヒットスタジオ」などにも出演していた。

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日本ではいわゆる「ボーイ・バンド(boy Band)」の先駆け的存在として、「ジャクソン5」というグループが知られていた。
小学校高学年になっていた博臣が、ある日二人に聞いたことがある。
「オズモンド・ブラザーズとジャクソン5のどっちが好き?僕、オズモンド・ブラザーズ!」
由美も明も気の毒そうな顔をして、
「実力が違うよ」
「多分、ジャクソン5の方はライバルだなんて思ってないよ」
音楽に関しては明や由美の方がずっと耳が肥えていた。
博臣は、アイドルとしての日本での人気は、オズモンド・ブラザーズの方がずっと上だったので、当然二人も「オズモンド・ブラザース!」というものだと思っていた。そしたら「やーいやーい真似しんぼ!」といつものパターンでからかおうと思っていたが……当てがはずれた。
後年、博臣がジャクソン5のリードボーカル、マイケルジャクソンのことを「すごいなあ」と思うようになるには、1973年(博臣中2)に封切られた映画「ベン」の主題歌「ベンのテーマ」を知るまで待たなくてはならなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=Atr9Db43Dl0

日本でも70年代に彼らを意識した子どもがメインボーカルを務めるグループが活躍した。
その名も「フィンガー5」。

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(続く)

(文 宮津 大蔵 / 編集・校正 伊藤万里 / デザイン 野口千紘 )
*この物語はフィクションであり、実在する人物、団体、事件等とは一切関係ありません。
 
*以下の方々に、写真・エピソード・情報・アドバイス等提供いただいて「遅れてきたGSは書き継いできています。ご協力に感謝してお名前を記させていただきます。(順不同)

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