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舞台「闇に咲く花」 感想⛩⚾️

※ネタバレあり。

この舞台を最初に観た日の夜、私はぼんやりと母方の祖父のことを思い出していた。
この時考えたことを忘れないよう、noteにメモ代わりに記そうと思う。

私に第二次世界大戦のことを一番最初に教えてくれたのはメディアでも学校の授業でもなく、祖父だった。
実家の隣に住んでいた祖父は子供の頃戦争で経験したことを何度も私に話してくれた。
主に空襲で怖い思いをした話がほとんどだったと思うが、内容は曖昧にしか覚えていない。
ただ、祖父は戦争について話す時は毎回、
「戦争はもう二度とするものじゃない。またあの経験をするのは絶対に嫌だ。」
と必ず言っていた。
その言葉だけははっきりと覚えている。


舞台を見て強く印象に残っているのは、神社のお面工場で働く5人の未亡人達。
全体的に重い物語の中のところどころに散りばめられたコメディや笑いの要素の大半を担っているのが、この5人の未亡人達だ。
彼女達が戦争で負った傷を周りに感じさせることなく明るく一生懸命に今を生きている姿はまるで辛い記憶を忘れているかのようにも見えた。
ただ、彼女達は決して戦争の辛い思い出を忘れた訳では無い。
女性達は出征する夫に神社の神主である公麿が送った言葉を一言一句はっきりと覚えている。
悲しい記憶を忘れてふりをして前を向き、今を一生懸命に明るく生きること。それは辛い時代を生きた当時の人達にとって必要なことだったのだと思った。

そして、この舞台のテーマとなるC級戦犯について。
A級戦犯は知っていたが、BC級戦犯はこの舞台で初めて知った言葉だった。
軍を指揮してた偉い人だけではなく、赤紙が来て国の命令で戦地へ赴いた一般の人が何千人も処刑されたことや、裁判は非常に簡易的なもので健太郎のように冤罪があったこともこの舞台で初めて知った。
(BC級戦犯についての歴史はこまつ座パンフレット「The座」に詳しく記載されていた。)

この物語で語られている悲劇はこれだけで無い。神田中学の野球部の部員は健太郎と浅利陽介さん演じる友人の稲垣以外みんな戦死していた。
唯一戦地へ行くのを免れた同級生の水上さんも空襲で亡くなっている。
どれだけ沢山の人が戦争に巻き込まれて亡くなったのか。どれだけ沢山の人が戦争で悲しい思いをしたのか。
約3時間の短い物語の中に戦争の残酷さがこれでもかというくらい詰め込まれていた。

そしてもうひとつ初めて知ったことは、戦時中の神社の歴史について。
本来、神社は小さな願いを叶えたいという希望を持った人がちょっと寄る場所。
来てほっとする場所。
道に咲く花と同じような拠り所であり、死とは絶対に結びつかない場所であるはずの神社が、戦時中出征する兵士達を送り出す場所となっていたこと。
そして、空襲後は死体の安置所となっていたこと。

その事実を知った健太郎が、神社の神主である父公麿に、神社の本来あるべき姿について訴えるシーンは圧巻だった。このシーンの健太郎の台詞は絶対に忘れられないし、忘れたくない。松下洸平さんはやっぱりお芝居が上手いと改めて思った。

過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。同じ失敗をまた繰り返すに決まっているから。
少し前に起こったことを忘れてはいけないよ。
忘れたふりはなおいけない。

健太郎の台詞を聞いて、なぜ祖父は二度と経験したくない辛い経験を何度も孫である私に話してくれたのだろうか と考えた。祖父は戦争のことを決して忘れなかったし、忘れたふりをしない人だったのだと思う。
そして、過去の悲劇を繰り返さないために孫である私に何度も経験したことを話してくれたのだろう。
だからこそ、舞台を見て感じたこと、疑問に思ったことを祖父に話したかったな と心から思った。
曖昧にしか内容を思い出せない祖父の戦争経験談を大人になった今、もう一度しっかりと聞きたかった。

祖父が亡くなったのは今から11年前、私が中3の時の夏だった。それ以降、戦争の体験談を聞くことはほぼ無くなってしまった。
それと共に、戦争について考える機会もめっきり減ったように思う。
そしていつしか、毎年8月15日に「終戦から𓏸𓏸年経ちました。」という言葉を聞いても、遠い過去のフィクションのように感じるようになってしまった。
多分、戦争や平和について真剣に考える というしんどいことを無意識に避けていたのだと思う。
この舞台を見ていなかったら、祖父が昔戦争について話してくれたことを思い出さずに年月が過ぎていただろう。もしかしたら記憶の海に沈んで忘れてしまったかもしれない。
あと数十年経ったら、戦争を経験した人がいなくなってしまうことを考えるとぞっとする。
過去の失敗を記憶していない人達が同じ失敗を繰り返すことが決して無いよう、忘れてはいけない歴史と、戦争を体験した祖父から何度も直接聞いた「戦争はもう二度とするものじゃない」という言葉を決して忘れずに後世に伝えていきたいと思った。
舞台を見て、戦争について考える機会ができて良かったと思う。
この舞台のチケットを取った理由は松下洸平さんが出ているから。ただそれだけだった。
舞台を見るきっかけをくれた松下洸平さんには心から感謝したい。

物語はとても悲しい結末で終わったが、健太郎は記憶を取り戻さない方が良かったのか…と考えると、それは絶対に違うと思う。
忘れてはいけないことほど忘れた方が都合が良い。でも、健太郎も残された人たちも思い出して向き合うことを選択した。
健太郎が亡くなった後のシーンを見て、愛嬌稲荷の人達は物語が終わった後も劇中の未亡人達のように明るく今を一生懸命に生きていくんだろうなと思った。
だが、健太郎のことを忘れることは決してない。
終戦から2年後の8月15日、愛嬌稲荷は他の神社と一緒に鐘を鳴らさなかった。健太郎が訴えたことは決して忘れることなく残り続けるのだと思う。
ラストシーンを見て、私もこの物語を絶対に忘れたくないと強く思った。

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