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6/1 Fri



さよなら皐月
たくさんの人が消えた
どこにいったのだろう
うまく隠れましたか?



こんなにふわっとした言葉で表さないほうがいいのかもしれない。現実は、親であることも忘れて子供を置いていく人、自らを捨ててしまう人。この1ヶ月でたくさんの景色を見てきました。初めは、正義感に後押しされてコソコソ働き掛けたけれど、何も出来なかった。終わらないでと願う日々も、いつか終わってしまった。人それぞれ守りたいものも違っているから、私のあどけない優しさはやがて憎しみに変わり、みんな、命を削って臨んだ方へと進んでしまいます。見通せない未来に向かって積み重ねた瓦礫の山が、逆さに運ばれていく感覚。「誰かのために何かをしてあげたい」という人情が愛だとは思うけれど、無償の愛は存在するのかな?愛情の対義語は憎しみだと思っていたけれど、本来は欲なのかもしれない。金銭と愛情は、あればあるだけ多くを望んでしまうのが人情。相手のためだとはいっても、結局全部自分のためだというのも人情。おかげさまで、正義は私の弱い気持ちでした。



そこは、纏わりついた不幸な現場に辛い日々。その人との関わりを自分に引き寄せて見ても、運命の岐路に立つ人間の意志というのは、なかなか見えてこないもの。だから私は、それ以上悲惨な文字が並べられないように願い、世間のバランスを崩さないように処理するしかないんです。私の心は、それぞれの間違った場所から劣等感の中で苦しんだり優越感の虜にならずに、社会の偏見と戦ってほしいと思っています。言葉があるのに、お互いが見ているものに触れることが出来ないのは哀しい。私たちは本来温かい血の通った人間のはずなのに、人間、綺麗には生きれないようです。そのせいで、私が纏わりつくあいつらに殺されても世間は廻るし、貴方が死んでも世間は廻る。貴方の溜息程度で私は生まれて死ぬんです。綺麗なままで、昨日も今日も明日も、本当のことは何も知らないままで生きたかった。私の未来を返して。こんな時代にきっと私は幸せなんでしょう。つまり皆様、生きて下さい。




私の元に届いたたくさんの訃報に
心よりご冥福をお祈りいたします