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#21 放射線治療(25回)が終了し、全ての治療が終わりました!

乳がんと分かったのが令和5年3月。
4月 右胸全摘手術
5月 抗がん剤治療スタート
9月 抗がん剤治療中止
10月 ホルモン療法スタート(10年間薬の服用)
11月 放射線治療スタート
12月 放射線治療終了

全25回の放射線治療終了をもって、私に計画された乳がん治療の全てを終えました。

やれることは全てやりました。
後は神様が決めている時間を丁寧に生きるだけです。


◆放射線治療を振り返る

放射線治療については、以前も軽く触れましたが、25回の照射を終えて改めて私が感じたことをまとめておきたいと思います。

①土日祝日を除く平日、毎日決まった時間に病院へ行き、治療を行います。
予約制なので、決まった時間にスタートし、だいたい決まった時間に終了ます。
25日間、毎日病院へ通うのは、精神的にちょっと大変でした。
ですが、その技術や新たな人との出会いは刺激になりましたし、小さな感動が生まれるキッカケにもなりました。


②<照射初回~20回目>
ほぼ副作用もなく、毎日のルーティーンのように治療を行っていきました。
時々、照射後に眠くなったりしたので、帰宅後にお昼寝をしたことも。
仕事と体調のバランスをとれたのは、自営業だったからだな~とつくずく思ったりしました。
(この件について、別の機会に詳しく感想を書きたいと思います)


③<照射21回~25回目>
ラスト5回というあたりから、皮膚が軽いやけどのように痛み、色素沈着で黒ずんできました。
さらにラスト3回というあたりからは、脇の下のやわらかい皮膚の皮が剥け、下着が触れるだけでも痛く、塗り薬で対応しました。
軽い被爆体験だなと感じました。


④<放射線治療終了から1週間後>
右胸の表面と脇の下の痛みは継続中。塗り薬で対応しています。
放射線治療によって火傷のように皮が剥けたりという状況になりましたが、1年くらいかけてゆっくり元に戻るだろうと思います。
体調的には特に問題もなく、放射線治療が終わってからはダルさや眠気もなくなりました。
肌の見た目には決してキレイと言える状態ではないので、温泉やプールはしばらく遠慮したい感じです。


◆全ての治療を終えて思うこと

約8か月間、乳がんのための治療を行ってきました。
周りの皆さんが「よく頑張ったね!」と言ってくださいますが、

私の場合は、乳がん手術後から家事も子どもたちのことも全て家族や業者任せ。
仕事と治療に専念できたのは、そういうかなり特殊な環境を整えることが出来たからではないかと思います。

つまり、特殊な環境があったからこそ治療と仕事に専念できた。
そう思います。

これこそが、2人に1人が生涯にわたって罹患する可能性を秘めた癌の社会的な課題だという認識が生まれました。


私は自営業なので、時間も自分で組み立てることが出来ました。
誰かに遠慮することなく、仕事を休んだり、休憩をとったりすることが出来ました。
精神的にこの環境要因は大きいなと思います。

また、治療費や生活費の心配を度を越えるほどする必要がありませんでした。
お金の問題は精神的にも負担になりますからね。


正しく伝わると良いなと思いながら書きますが、
私も含め、がんに罹患された方が、がんで亡くなるなら納得がいきます。
ですが、私自身も治療途中のメンタルダウンによって、がんでは無いところで諦めてしまうんじゃないかという感情にもなりましたし、

前述したとおり、
社会に対する遠慮や申し訳なさ、またお金の問題によって、がんとは別の苦悩で心や身体を病むことも考えられます。


がんが国民病と言われるものであれば、がん治療をしながら心身共に健全な社会生活が送れるような環境も、普通の生活レベルにならないとバランスが悪いなと思ったりもしました。


また、がんは治療方法も副作用も捉え方も向き合いかたも人それぞれ。
医療だけが正解というわけでもなければ、誰かの考えが正しいわけでも、誰かの選択が間違っているわけでもなく、自分自身の命に自分自身が全責任を負う。そういう当たり前のことを実行するという作業だとも思いました。

選択も決断も行動も全て自分。

強さと賢さを持たないといけない。

そういう認識をしっかり持たないといけないんだなとも思いました。

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