なかむら、超スーパーショック物語

あれ程までに受けた衝撃は、ない。
ショックもショック、超ショック。超スーパーショックな出来事として、
わたしの中に深く深く刻まれている。
小学一年生。
正確には一年生になる前の春休み。幼稚園を卒園して二週間ぐらいであっただろうか?
石油ショックが解除である。

先生=知らない大人、怖い人。
友達=作るのが苦手。
学校=暗くて鬱蒼、お化けが出そう。
ガチガチな3点セットで凝り固まっていたわたしは、当時の3大話題。
「パンダが日本に初来日。場所は上野公園」「あさま山荘事件」そして「石油ショック」。
「日本に石油が来ないかも、紙がなくなる。特にトイレットペーパー!」
<激動の昭和>
今でも必ず流れる当時の映像フィルムがあるが、後に「第一次」と称される石油ショックの衝撃。大騒ぎする世間に反して
「どうかそうなりますように。石油が来なくなりますように」
心の底から毎夜毎夜、真面目に祈っていたのである。

何故か?
学校=ノートに教科書。それらは紙で出来ている。紙を作るのに石油を使うのは、幼年雑誌で知っていた。
石油ショック→紙が出来ない。→ノートや教科書が作れない。→授業が出来ない。→学校へ行っても仕方がない。→学校へゆかなくてもいい!
らりほぉ~っ!ゴール!
妄想しては、喜んだ。空想のゴールに興奮していたのである。

漢字ぐらいは習うだろうけど、基本的に家にいる。
ずっとテレビを見たいだけ見る。好きな時におやつを食べる。幸せだなぁ、嬉しい。
叶えられると信じていた。

実際、この問題には時間が掛かった。政府も頭を、抱えていた。
薄ぼんやりとした記憶であるが、テレビをつければどのチャンネルでも第一の話題。真剣な眼差しで見、時折
「はぁ~っ」
溜息をついていた亡母を思い出すが、
(ラリホ~ッ!やったぁ~ッ!)
ぐふふ、うふふ、ぐははほは。
(このままゆけば、このままゆけば)日々是毎日、我が世の春気分のわたし。

ああ、気分を満喫し過ぎたのね。
が、3月も中旬を迎えた頃。突然、解除がニュースで報じられた。
「良かった、良かった!これでこれからもトイレで紙が、十分に使えるのね!」
満面の笑みで、饒舌に話し出す亡母。

がぁ~ん!!!!

半分、トホホとなりながら、わたしは小学校へゆかなければならなくなったのだ。返す返す言う。こんなスーパーショックはない。
なかむら、初めて。いや一生涯のスーパーショック物語。

一生、はっきり憶えている。


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