あの日の朝

日比谷線・築地駅での大惨事。ぐったりとするだけの人々の中に、わたしもいたかも知れない。「ひょっとしたら」ではない。「確実に」である。
あの日、遅刻するのは分かっていたけど、何となく気が進まなかった。それだけの理由で幸運にも、わたしは巻き込まれなかったのだ。

自宅から北本駅まで徒歩で約10分前後。そこから高崎線の各駅停車で、約50分。上野駅から日比谷線へ乗り換え、約15分。当時のざっとの通勤路である。
自販機で珈琲を買い、飲んだような気もする。欠伸も2,3、出したような感じもする。忘れ物はないかしら?財布の中身は?定期は?愛用していたバッグを上から、ゴニョゴニョと手で触っていたようだ。

ホームに立った。先頭だった。
電車が来るといつものようにアナウンスがあり、扉が開いた。(あっ)何故か思った。(止めよ。一台、後<あと>のにしよ。遅らせよ)(遅刻しちゃうけど、、。まぁ、いいや)
次のにした。
上野駅まで順調であった。乗り換える。
日比谷線方面に向かっていたら、なんか白かった。濃い白さでしか視界がなかった。大騒ぎしている。人がいっぱいに溢れている。四六時中、誰かが何かを話しているが、良く聞こえない。ゆらゆら動く白いのが、蔓延している煙だと知るのに十数秒、誰かが何かを話しているのは雑踏と理解するのに、更に数秒。雑踏の間(あいだ)、間(あいだ)に聞こえるのが、駅の構内アナウンスだと分かるまでには、更に時間を要して来た。

平成7(1995)年、3月20日。
あの日。あの日の朝を思うと、ひたすら「運」。偶々(たまたま)からの結果だけであるけれど、「運」。自分の運を思わずにはいられない。

#私だけかもしれないレア体験


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