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ぐるグル#10 シュタイナー教育から教育について考える(12/29開催)

〇 開催日 12月29日9:00~11:00
〇 テーマ 「シュタイナー教育から教育について考える」
〇 参加人数 8名
〇 開催場所 オンライン
〇 企画 岸田明子 塩野
〇 内容
※ 数回ぐるグルを開催してきて、今回初めて、始めに少しお時間をいただき、主催者からお話をする形で進めてみました。

〈簡単な自己紹介、今日参加した理由を全員で話す〉

〈岸田より〉
〇 簡単な自己紹介
現在、シュタイナー学校の小学校教師として勤務。以前は東京都の公立小学校に勤務。公立での経験を経て、今の職に就いているので、シュタイナー教育から見る公立小学校という視点をもって考えていることもある。

〇 シュタイナー教育とは
・よく「自由な教育」と捉えられることがあるが、「自由への教育」である。この違いは大切。人間は「戦争や原発などをする自由」をもっている。その「する自由」を引き受けられる人間を育てていくのが、「自由への教育」である。自由に何をしても良いという教育ではなく、発達段階に即した教育がなされている。
・大きく分けて3つの発達段階の区分に分けてカリキュラムが考えられている。
Ⅰ期(7歳まで) 意思を育てる時期 
習慣を大切にし、体を育む時期。心が萎えたときに、体が動く、すなわち「意思」を育てる。知識を入れず、日々を大切にする期間。
Ⅱ期(7~14歳) 感情を育てる時期
どれだけワクワクして何かを学ぶ経験ができるか。教科書は使わず、小人の旅の話で学ぶことも。自分のかいたノートが本、教科書になる。手足を使うことを大切にする。
(例)手仕事の授業、暮らしに役立つものをつくる。(リコーダー入れなど)
   九九で生まれる形を美しい形として作品にする。
 美しさから、数や言葉を学ぶ。授業は芸術的でなくてはならない。
Ⅲ期(14~21歳) 思考の教育
自分で感がる力を育てていく教育。

・芸術とのかかわりは、社会形成とのかかわりにつながっている。「誰かがやってくれる」と思っていると人任せになる。一人ひとりが「私はこうする」という意思をもつことで社会がみんなのものになる。
 そういった意思は芸術がつくる。自分が体験し、生み出す。自分がこの作品を作ったという経験が自分が良いものをつくるという感覚を育てる。

〈参加者とのやりとり〉
・シュタイナー教育にすごく共感する。公立学校は硬直性がある。教師の主体性がない。現在の教育への憤りを感じている。
・(岸田)担任のシステムについて、現在の公立学校は1年間担任が普通になってきている。一人の担任の存在感を減らすためなのか。教師の裁量や自主性を削るような学校の在り方が現実。若い先生は苦しいと思う。
・シュタイナー教育では大学はどうなっているのか?
 →(岸田)12年一貫教育となっている。大学は別のところへ行っている。シュタイナー学校といっても、システムは全国様々で、8年だけという学校もある。基本的に1~8年生は一人の担任が受け持つ。わりと子どもを(守る教育)をしている。卒業生はそれぞれ、その後の社会の中で生きていけている印象。一方でデモに参加するなど、社会に働きかける活動という点では、あまり見られず、弱い気もしている。
・子どもの心に即した授業内容だと感じる。
・反抗する心は健全である。
・こういったシステムではより教員の質が大きいと思うが、教員の養成はどうしているか?
→自分だけで学ぶのは難しい。海外で学んだ教員もいる。国内でも教員養成講座があり、最近全国の講座の単位を統合した。校内研修はかなりしている。
・お子さんの進路を選ぶとき、オルタネイティブ教育、有名な7つ(イエナ、モンテッソーリなど)ご存じない方もいる。選択できる仕組みがあると良い。
・シュタイナー学校が日本国内で多くはないので、家族での移住がネックとなることもあるのではないか。
→お子さんとお母さんだけ引っ越して通わせている例もある。お父さんは来られない。
・オルタネイティブ教育は経済的基盤がないとできないのも現実。公立にも変わってほしい。知識を知っているということでなく、大事なのは実際にやってみること。(掛け算ボードの教材で美しい形に触れる)
・自分の母がこういった教育に熱心で、7歳までに感覚を育てるということで、指先で触れていくことを大切にされて育てられた。7~14歳で感情を育てる。
・感情を育てるのはどう行っているのか。
→授業を大切にしている。お話を大事にしている。実際の感情体験として。心を耕す。昔話やグリム童話などが種になって、大人になって花開く。
・子どもにとっての学校はなぜ一か所か。選択肢があることが大切ではないか。2
つの学校に通っている時期があっても良いのではないか。いろいろな社会にふれることが大切なのではないか。自分の子ども時代はアトリエ絵の会という、その場所があった。
・子どもの自由をどう考えるか。母の思いと子の思いが一致するとは限らない。親のエゴではないか。本当の子どもの願いは考えられているのか。
・親同士の階層文化、分断がある。政治の課題ではないか。
・学校と塾の関係をもっとつなげられないか。探求学社という場所がある。連携を推進できないか。
・学び方はいろいろある。公教育は拠点となる。これからオンラインもあり、多様化するだろう。一方で平等性の問題もある。
・公立では、今を奪っていく授業が行われていないか。子どもの人格、選択肢、自由が保障されているか。
・公教育に期待しすぎない。
・子どもに身に付けたい最低ラインにしては、学校は拘束時間もやる事も多すぎる。
・金銭的に私立に行かせられない。
・いろいろ選択できればいいのだが。
・サドベリースクール。3年生以上は入れない。学び方を学んでいる。
・子どもも親もダブルスタンダードでしんどかった。排他的だった経験がある。50%で良いと思うようにした。
・小さな子供には選択肢が難しい。学校と親との間で、子どもがもつ価値観の混乱にどう付き合うか。サポートが大切だと思っている。
・イエナ教育の学校に行かせたが、子どもを余計に混乱させた。親としては良いと思って入れたが、そこを子どもに背負わせていることが嫌になってきた。公立は上手にできているパッケージだとも感じる。
・大日向学校に通わせているが、社会と乖離している。公立だといろんなことに出会うという良さもある。囲まれた世界から急に放り出されるようなことになるのでは。
・学校を楽しむとはどういうことか。
・子どもの意志と親の考えとの食い違いがある。しかし、教育の第一責任者はやはり親。
・親が決めないといけない。子どものことを考えて決めたなら、それが良い。行ってみて間違っていたら変えても良いのでは。
・インクルーシブ教育。地域にこういった子がいるんですよ、ということを伝える。
・全ての教育は自己教育でしかない。大人は環境をつくることしかできない。
・子どもに何を教えるのか。
・今回のコロナで見えたが、学校には託児の場所としての社会的要請がある。大人がみな働いている。地域に子どもの居場所がない。この状況を子どもが望んでいるかは全く別。学校以外にその受け皿がない。
・TVやゲームがなければ託児できない社会。子どもの居場所をどうつくるか。地域が学校になれないか。
・教育はどういう社会にしたいかということ。選ぶということが何度も話題に挙がったが、どんな場所であっても、選んだ後は、作っていく。
・公教育と公立学校は同じではない。
・学校に期待するのは少なくとも子どもにとって悪いことをしないでほしいということだけ。自分が負けてつぶされていくような場所であってほしくない。
・摂食障害は子どもの大人への復讐である。
・シュタイナー教育を受けた人のその後はどのような感じか。
→社会性がある人になっていると感じる。作り上げることや人と関わることをやって育っている。経験値がある。(例・クラスで演劇を作り上げる実践がある。)
 いろんな仕事に就いている。社会に出て、柔軟に過ごせているように思う。自分で周囲の人に「シュタイナー学校出身なんで・・・」と話すような人もいる。自分がどうかを大切にしている。

〈振り返って〉
  始めの時間に少し「シュタイナー教育」についてのお話を聞いてからのフリートークをするという形で進行しました。初の試みでしたが、後ほど皆さんが話しやすくなり、お話も深まりやすくなったと思いました。シュタイナー教育の現場に立つ岸田さんのお話は、要点を抑えて短くまとめてくださり、分かりやすかったように思いました。その後、質問に答えるような展開で進められたことも良かったです。
  参加された方は、(今回たまたまですが)教育に関心が高い方が多く、比較的専門的な話が出ても、かなり興味深く聞き合い、お互いに交流できた回だったように感じました。気軽に参加できるというぐるグルの趣旨とは少し趣が異なる部分かも知れませんが、良い交流の場となりました。
  「子どもの思いと親の願いとそのずれ」のような経験に基づくリアルな悩みも聞くことができ、机上の空論ではなく、お互い自身の仕事や生活と近づけてお話ができたように思いました。
  ご参加くださった皆様ありがとうございました。また何かの機会にご一緒できることを願っております。

 文責・塩野

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