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開運力で転職を成功に導けるのか!#22

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第二章 16回の転職

<堪忍袋はどこへ行った>


自ら寄り添って行きながら就職放棄,といった煮え切らない態度で北陸から戻ってきた私は,また姉に頼りまた。

姉の知人のつてで料亭に行くことになりました。千葉にあった「料亭のんた」です。その他「やかた暇つぶし」とか 「串揚げのんた」と言う姉妹店もありました。変な名前だなと思っていましたし旅亭の作りがおもしろのです。なんと元風呂屋を改造しそこに中庭がありその周りが通路になっていて一番奥が板場になっていました。

ここは従業員の寮も完備してありしっかりした会社という感じでした。板前は調理師学校卒がほとんどでした、それなので雰囲気はきちんとした職場という感じでした。悪く言えば管理的と言うんでしょうか・・・


私は洗い場からではなくその上の焼き方、揚げ方という比較的中堅のセクションに配属されたものの 、このセクションは高卒から調理師学校を2年学んで就職した者か、中卒から調理師学校へ行き就職した者ものしかいないようでした。だから長く勤めればエレベーター式で刺し方、煮方へ上って行くようでした。ただ私のような中途採用はまだ一人もいなかったのです。

会社でいうと新卒で2年目なったばかりの職場に転職で入社した感じだと思ってください。つまり仕事は毎日同じことを繰り返しているわけですから当人は当然慣れているのです。

彼らは最初は遠めに、「どんな人間が入って来たんだ」と値踏みをしたりするわけで、どのくらい腕がいいのか試されるのです。結果的には私は同い歳か年下の連中に試され馬鹿にされる始末でした。

ピノキオの鼻ような高いプライドがへし折られてショックなことが毎日起こります。それは今までの経験は全て我流でしっかりとした基本が何もできていないことを痛感させられたのです。今まで覚えてきた料理は全部その時々の勘頼りだったからです。

こういうしっかりとした料亭では、そんな大雑把な料理法は通用しませんでした。何をやるにも細かい分量を指摘されるようになったのです。 私は一種のカルチャーショックを受けながらも、この際しっかりとした基本を学んでやるんだという気持ちで働きました。

そんなある日、板長が若い板前達に、「河岸に行きたい奴はいないか、一緒に連れてってやるぞ」と言ったのです。板長は仕入れの勉強をさせてやるという意味でした。河岸は市場です。毎朝行くわけですが、早朝なので、遅くまで片付けをしている若い板前は疲れていて誰も行こうと名乗りをあげません、「はい」と威勢よく手を挙げたのは私だけでした 。

「浜名」でも5時には河岸へ出かけた経験があり、別段苦労だと思わなかったのです。板長にしてみれば1日だけの社会科見学という目論見だったらしいのですが、「明日も行くか?」と聞かれ、市場が嫌いなわけじゃない私は「もちろんお願いします」と答えました。それから板長が河岸にに行くときは必ずついてきました。その熱意を買ってくれたのか、板長との距離がグッと縮まりましたそして目をかけるようになってくれました。

そうなってくると他の板前が面白くありません。だんだんと陰湿な嫌がらせを受けました。嫉妬といえば女性の専売特許だと思っていたのですが、何のことはない男の嫉妬も随分いやらしいもんです。 なんでそんなことをするの 何度も思いまし、いじめそのものよりそういう先輩板前の心理がなんとも嫌になっていました。  

例えばオーダーにない食材を揚げさせて怒られたり、焼き魚を火が足りないと言っても一度火をいれるとやり過ぎと注意されることが多くなりました。あとは昼食のまかない食を作るのが週に一度回ってくるのですが私が作ると先輩たちは「まずくて食べれない」とまかないを捨てたりしました。

入社して4か月を過ぎようとした時でした。わたし堪忍袋の尾がきれてしまい、喧嘩をしてしまいました。喧嘩両成敗と言う事にはなったのですが、私が悪いわけですから、その時に板長に辞めることを伝えました。

すると板長はそんな出来事は一部始終を知っていたのかもしれません、「また戻ってくればいい」と格下の姉妹店である「串揚げのんた」に出向するように提案されました。

その優しに心打たれてそちらに移ることになるのです。串揚げのんたの店長は「料亭のんた」からはみ出た人で職人というわけではなく料亭のんたで事務職だったのです。やはり問題が起きてここに回されたことを聞きます。

つまり私も同じ扱いをされたことを後から気が付きます。優しいわけでなく飛ばしただけだと判るとすごく腹が立ってきました。それに串揚げのんたは板前の仕事というより、マニュアルを覚えれば誰でもできアルバイト十分な仕事でした。

それではあんまりだと思い、酒類に出す小鉢・突き出しを自分で作ることにしました。自分なりに凝った気の利いた突き出しを作っていたのですが「余計なことをしなくていい」などと言われ、 店の志さの低さに呆れました。

数ヶ月後に辞表を提出しました。

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