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子どもと学び 負の連鎖を断ち切ろう

悪いことをしなければ金持ちにはなれない

これは今も昔も、彼の国でまことしやかに語られている言葉。しかし一昔前の日本では、毎日精を出して働けば人並み以上の食い扶持は稼げたものです。私の祖父母・両親ともに休みなく働き、その結果、私たち家族は経済的には不自由なく暮らしていけました。

当時は皆が、経済成長の波に乗り遅れないよう生活水準を上げることに腐心していたため、いかに稼ぎ、そして身なりを整え、今までにしたことのない新しい体験をするかを競っていたように思います。

家族を大切にし多くの時間を家庭に使う、人生の意義と真の幸福を知っている人たちが遊びを知らない堅物と揶揄され、ややもすると蔑みの対象となった時代もあったのです。

わたしの家庭では華やかに着飾ることが第一義。
妻の家庭は長男である兄への学費捻出が第一義。

わたし達の共通項は、お金への度を越した執着です。しかし休みなく働けば、それなりに豊かになる時代は既に終わってしまったのです。

先行き不透明な時代を生きる

令和となり時代は変わりました。先行き不透明な現代を生き抜くために、私たち夫婦は子どもと共に学びながら、生きていく土台となる生活力(自分のことは自分で出来る力)を今以上に高める必要性を痛感しています。

コロナ禍の中、経済活動の源である人々の移動と接触が制限されて久しく、ひとつの仕事に熱心に取り組んでも、継続的に収入が得られる保証など既になくなってしまいました。だからと言って実体経済の伴わない、投資などのマネーゲームに身を投じるつもりはありません。

それよりも確実なことは、時代に即した新たな生活力を獲得する努力をすることです。浮足立っていた日常を一旦リセットし、人としての原点に立ち帰るべく、今ある生活環境の全てを見直す絶好の機会と前向きに捉えています。

生きる意義を再確認

財産もなく誇れる学歴もない私たち夫婦は子どもに何を残せるのか。答えは身近なところにありました。そう私たちの生活態度を見直すのが一番の近道だったのです。

さまざまな分野のスキルアップを図り職業選択の自由度を高めながら、ストレスで疲弊しがちな精神と肉体との調和をはかるのです。

具体例を挙げると、早寝早起きの励行・日常学習の徹底・躾の見直し、そして年長者からの知恵と経験の継承などの当り前の事がらが並びます。

特に躾の部分では食事のさい咀嚼を、しっかりと行うことを再徹底しています。健康を保つ重要なファクターである食事。その中で、しっかりと行われる咀嚼は一番簡単に実践できる健康法です。

これらを日々継続して行うには整った家庭環境が欠かせません。特に多くを伝えるべき子どもと接する機会を頻繁に持つことはとても重要なことです。

わずか数年でも密な親子関係が築けたならば子どもの自己肯定感は飛躍的に高まります。その結果、自分を愛してくれる・興味を持ってくれる人物を求めて無暗にさまようことがなくなります。

自らの承認欲求を満たすためだけの無為な時間をSNSなどを使って過ごすことなく、豊かな人生を歩んでいけるのです。

人は愛情を一方的に受けているだけでは満足できない生き物です。思いやりと無償の愛が溢れる家庭に触れた子どもは、他者にも同様に愛を注ぐことでしょう。それも適切に。

子どもと共有する幸福感

子どもに一番近い存在で尚且つ影響力もある親が、日々の生活の中で何に重きを置くのか。それによって子どもの将来はある程度決まると思います。

お子さまは、あなたの分身。あなたに出来ない、または、やろうとしないことはお子さまにも出来ません。とくに就学前には、その傾向がより強く現れます。

お子さまに関心がお有りですか。毎日、触れ合う時間をお持ちですか。

日々、お子さまのそばにいて共に取り組める課題があるだけで、お子さまの自己肯定感が高まり所作が落ち着き整うのです。

家族を愛し、そして愛されているという実感が得られる幸せな時間は永遠には続きません。

子は、いつの日か自分の進むべき道を見つけ私たちのもとから去って行きます。悲しいかな、それが成長であり自立なのです。

しかし家族で生活力の向上に取り組む間には思いやりと愛情は確実に存在し、それはお互いに感じとれるのです。

明確な目標を設定する

私たち夫婦が、国立大学附属小学校受験を考えたのは、高い目標を設定することで家族の課題を浮き彫りにし、それを家庭学習や日常生活に生かすことが第一の理由でした。

加えて、幼いころから、家業である畜産農家の労働力とされていたために学校生活を満足に送ることが出来なかった妻が、自らの不足部分を取り戻すためPTA活動が盛んな学校を求めたのです。

国立大学附属小学校は使える予算と人員に限りがあり、日常的に保護者からの物心両面の支援を求めています。そして、そこは厳しい調査を乗り越えて入学を許された児童と、その保護者で構成されているのです。

そのような学友たちと、勉学やスポーツを通じて日々切磋琢磨することで、
わが子に学習面で悪影響が出るとは到底考えられません。

さらに学校側と保護者との間で、子どもたちが小学校生活を営む上での第一義は主体的な学びと体を育むことであるとのコンセンサスが既にとれているのです。

結果、変な見栄やプライドも必要なくなり、子どもがのびのびと学習できる環境を整えるお手伝いに専念することができます。

もちろん、いろいろな人間の集まりですから、人間関係が引き起こすトラブルも皆無ではありません。しかし、それらは一般社会でも普通に起こりうることで、さほど大きな問題ではないと考えます。

選択の幅と自由度を増やす

私たち夫婦は、育った地域も年代もそれぞれ異なりますが、共通するのは学習に対して積極性に欠ける姿勢でありました。それはすなわち私たちの育った家庭の考え方を正確に反映していると思います。

『勉強なんか何の役にも立ちやしない』

昔日のドラマのセリフですが、確かにそうかもしれません。しかし学習を積み重ねることで見られる夢と職業選択の幅が増すのも事実です。私たちは、学習を軽視していた積年の負の連鎖を断ち切り、子どもと共に人生がより良きものとなるように努力を続けています。

この項 終り

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