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【マスオさんする際のコツ】


<どうしてマスオさんしているのですか?>

実は、私は妻の実家で暮らさせてもらっているマスオさんです。
なのでそれを知る知人・友人からは
「どうしてマスオさんしているのですか?」
とよく聞かれます。
正直、好きでマスオさんしている訳ではないのですが・・・
理由は、経済的な理由、さらにもう一つ大きなものがありました
「嫁姑問題から距離を置く」ことです。
これは我ながらナイスな選択でした!

嫁姑問題って、永遠のテーマですよね(笑)
私自身、親子関係は良好ではなかったほうなので
妻と母の板挟みには到底耐えられない。
それはそれは、確信していました(笑)
なので、私の場合は
嫁姑問題とマスオさんを天秤にかけた結果です。

特に私の場合は、基本日曜祝日は仕事、それも長時間の仕事
なので、家にいることが元々少なく顔を合わせる時間が少ない。
しかも、妻はたまたま姉妹のみ。
つまり家には義父母しかおりませんでした。
これらも、マスオさん生活を決めた大きな要因でした。
子育てをしている私達、特に妻にとっては
実父母の協力は本当に有り難いものです。

<とはいえマスオさんって大変じゃないですか?>

次に聞かれるのは
「とはいえマスオさんって大変じゃないですか?」
です。
確かに、気を遣うこともしばしばですし
何かと制限があるのも確かです。

でもこの「気を遣う」って
最近は敬遠されがちですが
けっこう大切なことではないでしょうか?
周りに気を遣う、私は大切にしています。

そしてマスオさん生活を続けて腑に落ちたことは
「価値観は人それぞれで、善し悪しではない」
ということです。
これは、私が
男・息子・夫・父
という複数の肩書きをもったことが大きく影響しています。

立場が異なれば物事の見方や解釈は異なる。
つまり価値観も異なる。
とても自然なことだと思えました。

価値観というものは
その人が育った環境や時代背景が影響していると
言われます。つまり十人十色です。
娘は義父母から言われることがあります

「食べなくては大きくなれない」
「もっと勉強しないと」
「メガネなんてかわいそう」(娘はメガネ使用します)
などなど
これらの発言って、親の私も耳障りといえば耳障り
でも価値観の違いに気が付くと
「その発言は何からきている?」
と思えるようになりました。

<その発言は何からきている?>

このように考えられるようになり
義父母の発言も、以前とは違って聞こえるようになりました。
きっと彼らの形成された価値観からの判断です。
それは心配してくれていることがほとんどです。

ではその心配は何からきているのでしょう?
ここで感情を表す日本語
喜・怒・哀・楽
を頭に浮かべます。
ちょっと脱線しますが
この喜怒哀楽の「哀」が「愛」でないことが
長年不思議でした。
でもある機会に気付いたのです

全ての感情の根底にあるものは「愛」であると!

愛がある故に喜び
愛がある故に怒り

愛がある故に哀しみ
愛がある故に楽しむ

そう、義父母の怒りや哀しみ、心配は
愛あってのものだったのです。
有名な言葉で
「愛の反対は無関心」
というものがありますよね。

娘はずっと関心を持たれているわけで
幸せなことだったのです。
そうなってくると
義父母の発言なんて全て愛から生まれている!
なんて幸せ者なんだ~となった訳です。
もちろん時間はかかりましたが。

なのでマスオさんする際のコツは
「全ては価値観の違い、全ては愛があるからこそ」
そうやって自分に言い聞かせる。
これです!

仕事が愉しいことと、家庭や自分の幸せ。
これは両立が難しいですが、切っては切れない
関係であると思います。
それでこそ<成幸>と呼べるのではないでしょうか?
もちろん、私の<成幸>への修行は続きます・・・


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