着たいものを着て良いのだ
ひとは案外他のひとに興味がないので一応法を犯さなければ大抵好きなことして良いのだ、ということをひとは忘れがちなのかもしれない。
うちの母もそんな感じである。
先日、両親が私の住む広島に遊びに来た。父が買い物好きなこと、広島には地元にない店がたくさんあることから、私たち3人は繁華街へ行くことになった。色んな店が並ぶうちの1軒に入って、父がぶらぶらとひとりで店内を見ている間に私は母が好きそうな服、似合いそうな服を物色していた。
母は私と違ってはっきりとした色が似合う。ほんとに親子か?と首を傾げるくらい私と母は肌の色が違うのだ。また、彼女は小柄で髪はふわふわした茶髪で、結構カジュアルな雰囲気が似合うし彼女もそういう服が好きなのだ。
しかしここ数年、50歳前後になってからだろうか、そういうカラフルな服を着なくなった。ベージュとかグレーの服を着るようになった。正直なところ顔が暗く見えるので、私はそれらが母に似合っているとは思わない。ただ、母の好みが変わったのなら話は別。着たいものを着れば良いのだから。
店内を母と歩くうち、青、オレンジ、白が切り換えになっているカジュアルなワンピースを見つけた。これは多分母も好きだし、似合うはずだと母に宛てがい勧めてみた。けれど彼女は、お母さんが原色好きなのバレてるねと笑って興味ありげな様子だったのに
もうオバァだからそんな原色の服着ちゃだめなんやない
とそのまま苦笑いした。
どうやら最近ベージュやグレーの服を選ぶのはそういう理由らしい。別にそんなことないし逆にベージュやグレーより若く見えて似合ってるけど、と言ったものの母は同じ言葉を繰り返すだけで結局そのワンピースを買わずに店を出てしまった。
母は少し頑固なところがあって、自分でルールを決めてしまうと簡単にはにその一線を超えない。今の自分はそんな服を来てはいけない、というルールをいつの間にか作ってしまった母は娘の言葉にもなびかなかった。なんでそんなルール作ったかなあと考えてみたが、やはり自分の年齢と彼女の考える世間の一般的価値観というものが原因なのだろう。
だが、そんなことは親戚いち頑固な娘には通用しなかった。母の様子にカチンときたので、母の日のプレゼントにそのワンピースを送りつけることにした。
そう、これは私の一方的な価値観の押し付けであり、エゴに他ならない。母にワンピースを送りつけたことも、この文章を書いていることもその範疇を出ない。それでも私は母にそのワンピースを着てほしくて、母に私のわがままを聞いてほしかった。自分で買ったものでなく娘が自分の薄給をはたいて送ってきたものともなれば、いかに母といえども着ざるをえまい。ふはは。
とは大口を叩いたものの、バタバタと働くうちに気が付けば母の日から2週間が経ってしまった。急いで注文したワンピースは2時間ほど前に実家に届き、何の連絡もなく突然ワンピースを手に取ることになった母から電話が掛かってきた。
なんか急に服届いたからびっくりしたわ
母の日やからね、もうだいぶ過ぎたけど
あのワンピースやん、わざわざありがとう
うん
あのねお母さん、着たいものは、着て良いのよ
だってそもそも似合うし好きなんでしょ
そうやね、早速着るわ、と聞こえた母の声は、随分と弾んでいた。私の瞼の裏には、あの原色ワンピースを来た母が、明るく映った。
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