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淹れる毎日

私にとっての日々の大切な習慣、とはなんだろうと考えてみる。
自炊?確かに何かを作る行為は楽しいと感じるし、社会人になってからは作る回数が格段に増えたのもあって、習慣になりつつあるか。ただ、どうしても面倒くさくて出来合いのものやカップ麺で済ませてしまうこともある(カップ麺自体は結構好き)。面倒くさく感じてしまうことのある時点で大切な習慣と言って良いのかわからないから、自炊は当てはまらないかもしれない。
では、晩酌?お酒を飲むのは元々好きだし、飲んでいるときはなんとも言い表せない幸せな時間にはなる。しかし、働き始めてからは週末しか飲まないようにしているので、日々の習慣と言えるかどうか…

では、私にとっての日々の大切な習慣とは何か。
今のところはコーヒーを淹れて飲むことかもしれない。


そもそもコーヒーは好きだ。高校時代から愛飲する中で、美味しさが見えてくるとともに自分の好みの味もなんとなくわかってきた。実際に自分で淹れ始めたのは大学に入ってからで、当時はコロナ禍の中、家で授業も受けていたから外に出ることが少なかった。そんなときに丁度、彼からコーヒーミルやドリッパーといった器具を頂いたのもあって自分で淹れるようになった。豆を焙煎店に買いに行ったり、挽く細かさを変えてみたりするのも楽しかった。
が、だんだん授業や部活、バイトが忙しくなったりして心に余裕が無くなってくると、そういうことをする暇があったら少しでも寝たいと思うようになってしまった。コーヒーが好きなのは変わらなかったけど、自販機とかで買うようになった。

そんな私がもう一度、コーヒーを自分で淹れ始めたのは働き始めてからだ。正直なところ、別にやりたいことのできる職場ではない。いわゆる滑り止めで受けた会社だった。
無味無臭の日々が矢の速さで過ぎていく。疲れと虚無感があとに残る。私は何をしているのか、わからなくなる瞬間なんて掃いて捨てるほどある。
そもそも私は朝早く起きること自体が苦手なのだ。朝はバタバタしてしまうし、苦痛を感じることも多い。でも、毎日朝飲む分と、水筒に入れて職場に持って行く分のコーヒーを淹れる時間は取るようにしている。なんというか、自然とそうなっていた。


猫舌の私は、作った朝食を冷ます間にコーヒーを淹れる。本当は豆から挽きたいけども手挽きミルしかまだ持っていない私には時間がない。仕方がないのですでに挽かれているものを買っているが、いつか電動ミルも導入したい。
お湯を沸かして、ほんの数℃冷ます。少し豆を蒸らしてからのの字を書いていく。良い具合の量までコーヒーを淹れたら、雑味が残らないようにドリッパーはお湯が少し残った状態で外し、淹れたての黒い水面を水筒とカップに移す。朝食を食べ終わる頃には、程よく飲める温度になっている。

飲むことだけでなく淹れる行程も、私にとって大切なものだ。低血圧でグロッキーな朝も、低気圧で頭痛のする朝も、コーヒーを淹れる。目玉焼きを焼く間につけていた換気扇を切り、コーヒーの香りが立つのを感じやすくする。この行為で幸せを感じることは、比較的つまらなくなってしまった日々に対する、私の儚いレジスタンスの1つである。

そんなわけで、今の私にとってはコーヒーを淹れることが日々の大切な習慣だと思う。今後は電動ミルも導入したいし、コーヒーのこと自体をもっと勉強していきたい。
もっとも、コーヒーは嗜好品であって、生活の余剰に位置するものなので、それに掛ける時間は生活に必ずしも必要なものではないかもしれない。けれど、少なくとも私にとってはかけがえのない一瞬なのである。

#日々の大切な習慣

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