ナナ / Sedam

280文字では不十分だと感じたことをダラダラ書くことがあります。

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最近の記事

読書の記録: 推し、燃ゆ/宇佐見りん

 『推し、燃ゆ』を読んだ。購入したのは2021年前後だったと思うが、すっかり積読になってしまっていた。購入した当時話題になっていたことを思い出し、この度読むことにした。若い筆者が書いた本であり、芥川賞も受賞し、世界的にも評価を受けたらしいということだけ知っていた。  先に全体的な感想を述べる。非常に現代的な作品だと思った。良くも悪くも。  推し活が文字通りの生き甲斐である主人公のあかり、彼女はおそらく一種の発達障害を抱えているようだった。そして、彼女の家族も決して健全とは

    • ポエム: けもの

      言うことをきかない獣が暴れている。 私は猛獣に乗りながら、落ちないように、この獣が暴走しすぎないように必死に手綱を引いている。 降りたい。手綱から手を離したい。でも、そうしたら自分に襲いかかってきそうで怖い。 そんな時は放牧すればいいとある人はいう。獣を放牧するのか。私には恐ろしい。そいつは私だけではなく、人も襲い始めるかもしれない。 閉じ込める柵があればいいのに。簡単に柵が作れる方法が知りたい。柵は目を閉じた時に完成してたりしないのだろうか。 醜い獣だ。憎悪の対象

      • 仕事でモヤッとした

        先日、仕事をしていてモヤッとしたことがありました。それは「仕事の引き継ぎを小休憩に口頭でされたこと」です。 人によっては、「え、そんなこと?何にモヤモヤするんだ?」と思うかもしれません。 実際、私が神経質な部分も多分にあります。 モヤッとしたのは「口頭ではなく、文面とか第三者でも分かるようにして欲しいな。。。」とその瞬間思ったから。 文面に残ってないのは本当に困るんですよね。(私的には。) 最低限、何が完了しているのかだけでいいんです。勿論、何が未完了で、今後はどのような作

        • 見聞きすることが増えた『弱者男性』という言葉

           わざわざ『弱者男性』なんてカテゴライズすることに違和感。救いの手を差し伸べろとでも説教したいのだろうか。恋愛等の市場で『弱者男性』の市場価値が低いのは、市場に問題があるだろうか。批判ではなく、単純に疑問だ。  『弱者男性』(といわれる部類)として生きてきてないので、説明されて想像することや理解はできても、共感することはできない。顔や経済的ステータスが高くなくともそれなりに恋愛をしている知人はいるから尚更。  偏見かもしれないが、恋愛面におけるステータスも、経済的ステータ

        読書の記録: 推し、燃ゆ/宇佐見りん

          「塾講師の自分」と「教育の在り方を模索する自分」での葛藤

           現在、私は塾講師している。個別指導を行っているので、生徒一人一人と深く関わることも多い。  子供達を預ける親御さんの多くは、私たち塾(講師)に、自身の子の成績向上を期待して下さっている。そのため、塾費用を負担している親御さんに満足してもらうには成績(各試験得点や内申点)を上げるというのが重要だ。言うなれば、塾に通っている期間中に成績を上げるというのが私達が達成すべき重要目標なのだ。  私は成績向上が重要と考える一方、指導や教育を通して、「生徒自身の可能性を伸ばすこと」や「

          「塾講師の自分」と「教育の在り方を模索する自分」での葛藤

          鉄もブログも熱いうちに

          最近ちょっとした悩みがある。ブログ投稿を再開したもののなかなか投稿が続けられないのだ。 私が記事を書く際は、自分の中でじっくり考察したり、友人やパートナーと議論を重ねたりしたものを文章という形に落とし込むことが多い。最近は仕事などで時間がとれず、考えがまとまった直後に記事を書き上げてしまうということができていない。そのため、記事のタイトルだけ記入し時間があるときに書き進めようとしていた。 そうしていると、記事にしたいと思えるものは多く、どんどん下書きが溜まっていた。だが、

          鉄もブログも熱いうちに

          三角関数の加法定理の導出

          「三角関数の加法定理」の導出方法に関する備忘録的な記事です. 導出したい公式$$ \cos(\alpha+\beta) = \cos\alpha \cos\beta - \sin\alpha \sin\beta \\ \sin(\alpha+\beta) = \sin\alpha \cos\beta + \cos\alpha \sin\beta $$ 回転行列を利用した方法$$ \begin{array}{} \begin{bmatrix} \cos(\alpha+\be

          三角関数の加法定理の導出

          「算数教育議論」から「人の認識と解釈」を考える

           はじめに断っておくが, 本記事は賛成や反対という議論ではなく, 私なりの解釈と今回の議論が意味するものについての考えを書いたものである. 投稿主本人を攻撃する意図やそれを促す意図はない. それを念頭に目を通していただけると非常にありがたい. 某SNSで目にした算数の議論 通院の帰りのこと. とある算数に関する投稿で議論がされていた. 議論となった投稿は以下のようなものだ. (少しでも攻撃回避のため, 出典URLは変換している.)  読んだ方はどう思うだろうか. この主張

          「算数教育議論」から「人の認識と解釈」を考える

          「頭がいい」とはなにかを考える

           今回は「頭がいい」, 「地頭がいい」, 「思考力が高い」について私なりの考え, 考えたことを記事に書きたいと思う. 1. 「頭が良い」と呼ばれる人々はどんな人か まず, 「この人は頭がいい」, 「〇〇という人は頭がいい」という言葉を使うとき, もしくは他者が使うとき, どのような人に対して使うかについて考えてみたいと思う. 私が思い浮かんだのは次の3タイプだ. ① ひろゆきさんタイプ ② 中田敦彦さんタイプ ③ 岡田斗司夫さんタイプ  ①の「ひろゆきさんタイプ」の方は

          「頭がいい」とはなにかを考える

          『創作物へのリスペクト』のライン

          今回は批判的な内容になってしまうということを事前に断っておく. E氏のコスプレに対する違和感某有名コスプレイヤーのE氏のネット記事をたまたま目にした. 内容は「アンチに対してE氏が物申した」ということを取り上げているだけだった. E氏は人気と知名度がある反面, アンチも多いコスプレイヤーのようだ. 実際, 私自身もあまり好ましく思っていない方のひとりだ. 私はアニメが好きだ. 幼少期からアニメには触れてきたし, 創作物に対して特別な思いがあったりもする. そんな私からする

          『創作物へのリスペクト』のライン

          パートナーに求めることは?

          近頃, ブログの更新が疎かになっていたので, 久々の投稿になる. あなたが恋人に求めるものは?今回は次の問いから出発してみたいと思う.  " 理想の異性はどんなひと? " よく話題になる質問であり, 古典的な質問のひとつだ. あなたはどうだろうか? 人によって回答が様々でおもしろい. 見た目の好みを答えるひともいれば, ファッションの好みを答えるひともいる. 生活スタイルをあげるひとがいるかと思えば, 性格などを答えるひともいる. あなたは重視するだろうか. 現在の私は

          パートナーに求めることは?

          相性とか、バランスとか

           ここ数日精神的な体力を消耗してしまった。いわゆるヘラってるみたいな状態になっているんだろう。  人には「客観的捉えるのが上手いとか、メタ認知できてますね」とは言われるが、全然できていない。たしかに人に今の自分がどういう状態かを伝えるとき言語化するのは割と得意というか、その能力みたいなものは小さい頃から苦じゃなかった。でも1人でいると、その自己モニタリング能力のようなものが極端に落ちてしまう。  気づかないうちに頑張りすぎたり集中しすぎたりしてしまうことが多々ある。過集中

          相性とか、バランスとか

          私的リモートでの『1%の努力』

          タイトルは某有名掲示板の元管理人方の著を引用した。 タイトルや目次から粗方の内容は推測できそうなので、読んだことはない。 近くのブックオフの店頭に並んでいたので、暇な時に立ち読みでもしてみようかな。 彼の著書が売れているのをみると、「外資コンサル出身の超人が教えるライフハック本」から「ラクに幸せに生きていく処世術的な本」へとトレンドが変わっているのかもしれない。 個人的には、競争・資本主義のルールの中での強者的考えは受け入れるのが難しく、後者の方がまだしっくりとくる。 (彼

          私的リモートでの『1%の努力』

          辛いときに真価が試される

          「辛いときに側にいるのが友達だ」とか「苦楽をともにした仲間の絆は強い」なんてのはよく聞く言葉だと思う。 私のこれまでの経験則から、それらはある程度正しいだろうと認識している。 私は小中高、大学、社会人と付き合う友だちが変化していった。 きっかけは様々だ。進学して連絡を取らなくなった。しばらく会わない間に価値観が合わなくなっていき、話していても楽しいと思えなくなった。例えを挙げると枚挙にいとまがない。 そんな私でも長く連絡を取り続けている友人はいる。彼らに共通してるのは、「

          辛いときに真価が試される

          「苦しかった時」が「良かった過去」と思えるように。

          誰しも少なからず、その人なりの悩みや苦労と直面しながら生きている。それは比較できるものではないし、同じように見えても、人によって大きさや質、影響度合いは変わってくる。 それでも「現在の苦しい体験、気持ち」が後々「体験してよかった過去」に思えたら、少し幸せだと考えている。 以前の記事で少し書いたかもしれないが、私の父は自らこの世を去った。それは私が高校3年生の12月、センター試験(今は違う名前なのかな)を直前に迎えた時期だった。 彼の精神状態は周囲からみたら回復しているように

          「苦しかった時」が「良かった過去」と思えるように。

          新天地と新たな出会い

          毎日投稿が途絶えてしまった。若干、悔しい。呟きも含めればできたのに意識が薄れていた。 それには少し「新しい職場」と「新たな出会い」が関係している。両者は実は別々の話だ。 まず「新たな職場」だが、担当している業務・案件での仕事が本格的になってきた。まだドメイン知識理解が浅い分野の案件で、「分析方針の立て方」や「お客様とのスコープを含めた擦り合わせ」、いわゆるデータ分析の上流工程と呼ばれる部分に試行錯誤していた。 案件の途中から参画することもあり、プロジェクト自体のキャッチア

          新天地と新たな出会い