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---にちようびのアトリエ---日常にもどりはじめるまえに、ちょっと考えてみたいこと④

 スイスを満喫したわたしは、その足でベルリンに向かった。ベルリンは、どことなく惹かれる街で、その街を歩いてみたいとずっと思っていた。

 でもひとつだけ、訪れたい靴屋さんがあった。
 日本では高価で手が届かなくて、いつも見てるだけだったお店。ドイツ生まれのその靴屋がベルリンの街はずれに廉価店を構えてると聞いて、さっそく向かう。

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 店に入ると、靴箱が雑多に山積みになっていた。お店というより倉庫にちかい。季節はずれのもの、型落ちのもの等、一点もの。サイズもデザインもばらばらに積んである。古本屋さん並みの体力が必要かも…と青ざめたけど、まぁ、旅っていつもこういう感じ。思い直して、よし、と箱を開けていった。

  数時間かけて、決めた一足の靴は、履いて、歩いて、ふたつの足にぴったりとおさまったもの。その様子をずっと見守ってくれていたお店のお兄さんは、目元に笑みを浮かべて、でも表面上はつとめてクールにお会計をしてくれた。「よくがんばりましたねぇ」。なんだかそう言われてるみたいだった。
 ありがとう、また来てね。最後に、こう言って靴を手渡してくれた。
 “ Enjoy your shoes.”

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 いつからか服も鞄も音楽も、お気に入りをみつけるのに時間も体力もかけられなくなっていた。仕事で忙しかったし、街に出れば疲れてしまう。どこに行けばそういうものがみつかるのかもわからなくなっていて、年をとるってこういうことなのかなぁ…と半ば諦めもあった。 

 だから、東京に戻ってきてから、たっぷりの時間と体力を惜しみなくかけてみつけたその靴を履いてはあのことばを唱えた。“ Enjoy your shoes, Enjoy my shoes. ”
 そのうち、その靴を履くと元気が出るようになった。手にした宝物を、履いて歩いて、しっかり使う。使われて、くたびれて、色も形もすこしずつ変わっていく足元の靴を見ながら、わたしは自分に問いかける。

 もしかしたら宝物ってこうやって使うのかな?
 ねぇ、あなたの宝物をまだ引き出しの奥に仕舞い込んでない?

 宝物は、自分自身が映っている。わたしはなにを大切にしているか。宝物を大切にするってどういうことか。自分自身をどんなふうに大切にしているか。

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 こどもとのかかわりにおいて、わたしは「丁寧にかかわる」とか「その子自身のペースをみていく」とか、そんなことを大切にしていた。
 それをほんとうの意味で教えてもらったのは、3歳前のこどもたちとかかわるようになってから。彼(彼女)らの体はあまりに不安定でやわらかくて、それをこわさぬように。こどもを持たない自分にも母性みたいなものがあるのを彼(彼女)らから教えてもらった。
 でもどこかで、そこを大切にしすぎてしまっていた。ものすごい速さで成長してゆくこどもたち、あっという間に手を離れていくこどもたち。わたしは自分とこどもたちのなかから、何かが失われていくことを酷く恐れて、「今がずっと続いて欲しいな」と思うようになっていた。それは変わっていくその子を囲ってしまうことではなかったか。わたしは、そういう閉じられた<心地よさ>を<安心>と勘違いしていなかったか。

 こどもの仕事から離れたとき、今までいかにこどもたちに楽しませてもらっていたのかを知った。こどもたちの楽しさに自分を重ねているうちに、自分自身で楽しむことなど、すっかり忘れていた。


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 だから今、その順序は逆。
 自分が楽しむ。楽しみをつくる側にまわる。

 こどもたちは、そばにいる大人の姿を全身で感じて、その背中をいつもじっとみている。そうある大人の姿が、少なからず、未来をつくるひとに伝わっていく。場をともにするって、そういう響き合いだと思う。
 これからを生きるひとに、わたしができるのは自分が積極的にそうあることだ。自分を楽しませることを知ってるひとが、ほんとうにひとを喜ばせることができる。だから、<わたし>が楽しくいる。言葉じゃなくて、伝えよう。生きるのって楽しい、って。


 あの街はずれの靴屋のことを今もときどき思う。わたしはこっそりお兄さんから教わったのだ。宝物はしまい込むんじゃなくて、使うことで Enjoyできるようになっていくって。だから、わたし自身を、しっかり使う。自分のいのちを、しっかり活かす。今日も、わたしに呼びかける。
 ” Enjoy my life ! ”


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