車窓を眺めたがる子供とスマホを見る大人

この時間の有楽町線、本を読んでいる人が多い。電車でスマホを見ている人ばかりの景色を見ることのほうが多いので驚いた。本を読んでいた人たちは都内の駅で降りていく。

待っている間、何かを読むか書くかしているとあっという間に時間が過ぎるので苦にならない。私はどちらかというと書く方が心穏やかにいれる。これを書いているのも、昨日の文章を書いたのも電車の中でだ。

スマホを見ている人たちは何を見ているのだろう。指が動いていないところを見ると、動画を見ているのだと思う。動いているものを見ると人間は安心するのだ。

夜中0時から2時の2時間より、明け方4時から6時間の2時間のほうが早く時間が進んでいるように感じるという話を昨日聞いた。おそらく、夜中は暗いままで変化がないのに対し、明け方はだんだん明るくなるという変化を感じるからなのだろうと思った。

物の動きがないと時間の存在すら感じられないという話も聞いて、ハッとした。たしかにそうだ。

電車の中は変化が少ないので、退屈になりやすい。子供が車窓を眺めたがるのも変化を求めてのことだろう。

車窓を眺める子供やスマホで動画を見る大人は、脳が欲するものを直接的に取りにいっている。一方、読書や文章書きをする人間は脳が欲するものを得るのではなく、不足の状態を他で紛らわしている。

不足を作ることは創造につながる。足るを知るではなく足らずを知る。足りない状態に身を置いてみなさいと助言を受けたことを思い出した。退屈をしのぐのではなく、暇をあえてつくり、暇を認知し、生かす、その大切さを忘れてはいけない。

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