見出し画像

0は素敵だなぁ

なんかつらつらと思いつくのでもう一発。
短めです。


0って素敵な数字だと思うんです。特に、現代SNSにおいて、0はほんっとにものを言います。
「最上位桁含め、ある数字をすべて0に置き換えた数」は「桁数」と呼びます。
これは現代SNSではその人の「人気度合い」を表しますよね。0が1個ならヒトケタ、つまりあんまり知られてないと言うことを指しますし、0が5個あれば万超えとか言われたりしますね。人気の証拠です。
ある動画サイトでは、一定数を超えると盾が貰えたりするそうですね。


ところで、私はそんな0が大好きです。あ、別に名声が欲しいわけじゃないんです。
その名の通り、「知ってる人・見ている人が0」と言う状況が大好きなんです。いやぼっち極めてんのか?


例えばこの記事の写真。看板にはたくさんの文字が踊っていて、道を歩く人に何かを語りかけようとしてますね。けど、その道には誰もいない。

これ、一見寂しいように見えますが、私はそうは思いません。
だって、だーーれも見てないのに、世界にメッセージを出しているんですよ?そんな素敵なことないじゃないですか。
ただ、この例だと少しわかっていただくのが難しいかもしれませんので、もう少しSNSよりの例を出してみます。

Twitterが分かりやすいですね。アカウントを作りたての頃はFF(ファイナル・ファンタジー)は0です。多くの人は、ここでいろんな人をフォローして、繋がりを増やしていきますよね。
けど、私はあんまりそういうことはしないんです。SNSを大通りみたいなものだと思っているからです。流行の発信源でもあり、多くの人がそこでいろんな「買い物」、言い換えるならお金をかけたりかけなかったりして「情報」を得るからです。

全然理由になってないように見えますが、もう少しだけ。
もし、現実社会の大通りで思想を勝手に叫び散らすとどうなるでしょう。一発でしばらくの間シャバとはおさらばです。え、この韻上手くない?
それがもし人が一人もいない大通りなら?もっともっと長い期間シャバには戻れないですね。悲しい。


けど、SNSだとそれが許されるんですよ。FF0のだーれもいない大通り。誰も自分には気づかない。透明人間。それでも、大声で叫んでいいんです。そうして世界に自分の痕跡を残せるんです。
たとえそれが、いつか誰かに気づかれるとしても、いつまでも気づかれないとしても。

サーバーからデータが消されるその日まで、自分の生きた痕跡は誰にも知られずに生き続けられるのです。


これって素敵じゃないですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?