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不条理を嘆くのはやめた。

皆さん、またまたまたまたお久しぶりです。
元気でしたか?私は元気元気でしたよ〜〜
ノート書けよって話なんですけど、ちゃんと書いてたんですよ!!いや信じられないと思いますが!!

ただ、なんか満足いくのができなくて、結局下書きにいっぱい残して終わりにしちゃいました。笑
それは書いたとは言わない。うん。知ってる。


閑話休題。さて、今日はタイトルがえらい尖ってますね。
今日は私自身のここ最近の変化について話そうと思います。


知っている方は知っていると思うんですが、私、15歳くらいの頃から、いろんな不条理やら理不尽やらにてんてこ舞っていました。18歳をすぎるともっと酷くなりましたね。
内容は人の借金を乗せられるやら親の逮捕やら、まあいろいろです。一つのキーワードは「人の裏切り」でしょうか。多くは語りませんが、その結果大学、しかもまあ履歴書に書いたらだいぶいい思いできそうな学部も辞めることになりました。

で、そんな状況だと当然病みに病むわけです。他人も恨みますし、自分を守りに入ってしまいます。ここまでは正常な反応だと思います。



ただ、です。私はそこで「自分にとっては」あまりに辛すぎる経験をした結果、自分は世界一不幸だとか、他人は基本信用できねぇとか、そんなクソ自己中なことを思うようになりました。そんな不幸な目にあった自分は、辛く哀しく同情されるべきなんだ。多分それくらい思ってたと思います。


そして、それでも生きてきた自分はめちゃくちゃえらいし、いろんな人に甘えて頼ってってしたいなと思いもしました。付き合う人はもう離したくないから縛り付け、その割に自分だけは好きにする、みたいなこともしましたね。



バカじゃねえのか。
いま、ついこないだまでのそんな自分に、本気でそう思います。

この数日、様々な機会でいろんな「しんどさ」を抱えていきている人たちに出会いました。
そん中でも私のはまあまあ重い部類にはやっぱり入るのですが、もっともっとしんどい思いをしている人をたくさん知りました。

正直、半端ない衝撃を受けました。「なんで、そこまでしんどい思いして、あなたは笑って生きてられるんや」って、本気で思いました。

日雇いで生き、適当な場所で寝る男性に出会いました。どうしても怖さが抜けず、言葉は交わせませんでしたが、ボロボロの服で、それでも懸命に生きている姿を見ました。

体を売って生きている女性に出会いました。彼女らはみんな、自分ではどうしようもない理由でその職についていました。頭ではわかっていたのですが、この歳になってようやく、それを心から理解しました。




でも、彼ら彼女らは、生きていました。
みんな、どうしようもない理由で地獄に叩き落とされているのに、それでも生きていました。


私は、彼ら彼女らに持っていた軽蔑の念の一切が消え去るのを感じました。むしろ、今や彼ら彼女らには、心からの尊敬の念すら抱いています。




そして、私ごときにどうして自分に降りかかってきた不条理を嘆くことが許されるのか、と思うようになりました。

私の程度のしんどさ、その気になれば他のことで上書きできます。酒を飲んだり、異性とまあ健全ではない遊びをしたり、音を掻き鳴らしたり。やってみたら、そんなことくらいでどうにかなるしんどさだったんです。


だから、私はもう自分だけが辛い、自分だけを特別視して欲しいなどと甘えた考えを捨てようと、そう決めました。

今、私は職場でも家でも、しんどいってあんまり感じません。世の中にはもっと頑張ってる人がいることを知っちゃったからかな。

その裏には死にたい思いがやっぱり隠れていますが、もうこいつはどうしようもありません。

この思いが解き放たれちゃったら、その時はその時です。潔く天に召されます。まあ、あんまり長生きするつもりはやっぱりないのですが。

その日まで、よろしくお願いします。


そして、この記事に書いてあったことで気になること、こいつクソだなと思うことがあったとしても、お願いです。今回だけは、黙っていてください。

私が変化するために必要だったプロセスは、否定されたくない。

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