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晴れ行き渡る人

笑う母方祖父と七草家

母方祖父はよく笑う人でした。

楽しいことが起これば笑い、大好きな甘いものを見れば笑い、ゲームで孫をコテンパンに負かしたときも笑い、チャックが全開のときも笑い、豪快なオナラをしては「じいちゃんのオナラはローズの香りやけん」と言ってしっかり臭わせたときも笑う。

そんな祖父に私はいつもつられて笑っていました。

私も大人になったら祖父のように周りがつられて笑っちゃうくらい豪快に笑える大人になりたいなと思っていました。

祖父が亡くなって、今年が13回忌になります。

じいちゃん、私は年齢ばかりが大人になる一方で、身も心も職務経歴も笑っちゃうほどガッタガタな人間になってしまいました。

祖父に近しくなれたところは、こんな人生でもガハハと笑いながら生きているところと、かほるオナラを「ローズの香りやけん」と笑い飛ばしながらしているところくらいでしょうか。

じいちゃん、頭を抱えていないといいな。

こんな状態の私ですが、今日まで生きてこられたのは祖父のおかげだと思っています。

特に助けられたのはコロナ渦の頃。

私は極度の職場ストレスで思考が狂い、どえらい方法で命を絶とうとしていました。

コロナ以前から職場で受けていた理不尽な扱いに耐え兼ね、いつしか毎日「コイツらを全員道連れにして終わってやる」と思うようになっていたのです。本当にもう地獄の天城越え。

過度なストレス、ダメゼッタイ。

そうしてどえらい終わらせ方をあれやこれやと思案しているときに、ふと祖父が豪快に笑っている姿を思い出しました。

私はここで「祖父のように豪快に笑える大人になりたい」という目標を思い出しました。

それからは最初こそ無理やりでしたが、職場では大半のことを祖父を真似て豪快に笑うようにしました。

声を出すことも良かったのかもしれませんが、笑い飛ばして乗り切る毎日は少しずつ良い方向へ向かっていったように思います。

職場で気を許し信頼できる方を見つけたり、5年以上付き合っても進展がなく、私も命を絶つので別れようと思っていた彼氏(のちの夫)と結婚前提の同棲が決まったり、それに伴いストレスが狂い咲く職場を退職できたり。

祖父の豪快に笑う姿を思い出せなかったら、私はコロナ渦の絶望に呑まれたまま命を落として地獄の業火に焼かれ続けていただろうなと思います。

祖父の真似事を始めてから早いもので3年が経とうとしています。

当時は無理矢理にでもワハハと笑っていた私ですが、今ではごくごく自然に色んなことにワハハと笑えるようになりました。

お陰様で夫との暮らしも帰省時に過ごせる母と弟との時間もみんなでワハハと笑いながら過ごせています。

祖父が私の中の曇天をワハハと吹き飛ばしてくれたように、私も誰かの曇天を吹き飛ばせるくらい気持ちよく笑って生きていきたいなと思いました。

「笑う門には福来る」という言葉があります。

笑顔でいることや笑うことは自分の心はもちろんのこと、周りの方々の心をも青空にしてくれるのだと思います。

私は祖父が見せてくれた青空を胸に、これからもボロッボロの心と体でワハハと笑って生きていけたらと思います。ワハハ。


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