失恋タクシー
中村は、車道の脇で力なく腕を上げる彼女の隣に車をつけてから嫌な予感がしてしまい、申し訳ないけれどやってしまった、と内心で思っていた。
彼女はたいそう疲弊した様子で泣いているわけだが、こういう乗客を乗せるのはこちらとしても疲れるのだ。行き先や道を確認しても何を言っているかわからないし、何より後ろでずっと泣いている人がいたらタクシーの運転手じゃなくとも気になってしまうのが普通だろう。
間違えましたー、と車を発進させる訳にもいかないのでドアを開ける。
「どうぞ。」
彼女がほとんど座席に倒れ込むように乗車してくる。背もたれに完全に身をあずけ 肩を縮めてうつむく彼女は、放っておいたらどんどん小さくなっていつの間にか消えてしまいそうだ。なんでもいいけど、料金だけは払ってくれよ。
「どちらまで?」
「いけるところまで連れて行ってください。」
そらきた。
「場所を言っていただかないと。」
「どこでもいいんです。どこか、ここじゃない所へ。」
ここじゃないどこかへ。悲劇のヒロイン気取りなのかねぇ。
「おうちはどちらです?」
「…京都です。」
「え?」
「京都、関西の…。」
なんでまた関西のお嬢ちゃんが金曜日に深夜の東京にいるんだい。聞きかけたが、せっかく会話できるようになったのに何かを思い出してまた泣かせるのも気の毒なので触れないことにした。中村は、彼女の「どうしようもなさ」が自分の想像以上であることが段々とわかってきた。
困ったな、とりあえず自宅に連れて行けばいいと思ったのに…。見たところ、お金はもっていそうだ。
「じゃあお客さん、こうしましょう。
いまから東京駅近くのホテルまでお送りします。今夜はそこで一晩過ごす。明日になったら新幹線で京都へ帰る。
どうです?」
彼女が反対しないのはわかっていた。一応フロントミラーで後ろの反応を伺いつつも、車は既に東京駅方面へ向かっていた。
道中、突然彼女が何やら話し始めた。しっかりとは聞こえないがどうやら事の経緯を自分に教えてくれているらしい。聞こえてきたことをまとめれば、彼女は職場の同僚男性と5年近くのつきあいをしている。いまは彼女が京都部署へ異動となってしまい、週末にお互いの家を行き来している。今夜は彼女が彼の家に泊まりに来ていた。彼の部屋の見えないところに女物のイヤリングが置いてあったため不審に思い問い詰めると、同僚の女子が何度か泊まりに来ていたことを彼が白状した。しかもその女子は、彼のことを以前より狙っているのだという。
「ほんと許せないのが、絶対わざとなんですよ。だって、わたしの化粧落としのストックに紛れてたんですよ?彼氏が気づかずにわたしだけが見つける場所を狙ったんですよ。ほんと許せない。」
「それはとんだ夜でしたね、可哀想に。」
「わたし、どうしたらいいと思います?別れた方がいいのかな。」
「彼氏さんのことは、許せるんです?」
「んー、許せない。けど、5年もつきあってるし、なんか1回の浮気だけで別れるのも違う気がする…。」
「自分が遠くにいるのに、その女の子は毎日のように彼氏さんと顔合わせてるのはちょっと不安になりますよね。そのあたりもちゃんと彼氏さんに相談して、ちゃんと話を聞いてくれるかどうか見てみたらどうです?
まぁ私には細かいことはわかりませんけど。」
ついつい親身になって彼女と長話をしていたら目的地としていたホテルに到着した。
「最初取り乱しててすみません。ありがとうございました。なんとかなりそうです。」
「京都までお気をつけて。」
彼女を見送ると、中村はまた夜の東京へタクシーを走らせた。
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