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いっちょ前に

1293 文字

 カラ松の赤ちゃん ? 違うわね、子供 ? もう少年になるのかしら ?、木の年齢を人間に当てはめてみる。
 人間なら3歳4歳7歳・・・分からない。
 10センチ位の癖に、いっちょ前に紅葉していて可愛い、そして、もう直ぐ細い葉が全部落ちて、この野っぱらの何処に生えていたのか探せなくなるだろう。
 私は来年、生きているとすると、このカラ松の事等すっかり忘れて通り過ぎて行くのだろう。
 数年後、未だ、生きていたならば、成長したこのカラ松を眺めて、随分大きく成長したわね~と眺めて通り過ぎて行くだろう。
 野山を歩いていて、この様な木々に出合う、よしよし大きく成長しなさいねと願い、そのままそんな事等忘れ去ってしまう。

 父が山の中に植えた数十本の桜は大きく成長していた、誰も行かない山の中で静かに花を咲かせ、静かに春夏秋冬を乗り越え、5~6㎝だった幹の太さは30㎝以上にもなっていた。
 見上げて梢が見えない高さ、鳥達の遊び場になっている。

「20年後、この位の太さになるんだぞ、春には桜見物だ、見事な花が咲くぞ~」

 木の幹を右手でさすりながら、20年後の桜の花を思い浮かべて嬉しそうに話していた事を思い出す。

 今年の春に何故か思い出して山の中に分け入ってみた。
 胸位迄のクマ笹に足を捕られ、急な坂をヒイコラ息をゼーゼー、はっきり言って見に行こう等と思った事を後悔してしまった。
 父が植えてからすでに40年は経っている、その間に誰か見に来た事があるのだろうか、日々の忙しさにすっかり忘れられていただろう。
 桜が咲き出すと必ず思い出していた、あの桜の木はどの位の太さになっているのだろうか ? 等と思っても見に行かなかった。
 心の何処かに、崖に手を掛けて登ろうとしない自分がこちらを覗き込んでいた。
 辿り着いた桜の花はすでに散ってしまっていた、風が当たらない場所を選んで植えた事が思い出された。
 殆どの桜は今が見ごろ (イヤイヤ今は秋終わりですが) 父が植えた桜は10日程早く咲いていたのだろう。
 木の幹に背中を預けて空は白い雲がふんわり流れていた、見慣れぬ来訪者に野鳥達が様子を伺いに集まって、声高く警戒の鳴き方をしている。
 カケスが首を捻りながらじっと私から目を離さない、根競べをしてみたが私の負け、何も持たずに来てしまった、喉はカラカラに渇いているが川の水は飲む事が出来ない。
 エキノコックスが怖い、サラサラと綺麗な湧き水なんだけど、決して飲む事等考えられない。
 自然と共存という事はこの様な事なのかも知れない、キタキツネが悪い訳ではない、それなりの対処をすればいいだけの話し、全てのキタキツネに薬を食べさせるとエキノコックスは大丈夫になり、川の水も吞めるようになるという。
 途方もない金額がかかるのだろうな~と、乾いた喉を我慢しながら、流れる水を恨めしく眺めた。
 気がかりだった桜の木を後ろに一時間位の山歩きは疲れた。
 カラ松の子供を見つめて思い出した、今年の春の桜の木、2023年は観に行くのだろうか ? 決めてはいない。
 だって~、辿り着く迄大変、今は行きたくない心境だわ。
 
 
 
 

 

#エッセイ

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