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あゆの病気(詳しく)

あゆのお友だちとか、私の知人向けに、あゆの病気について詳しく書きます。

症状の発現

健康自慢だったあゆの異変は、2024年1月中旬。
いつも、朝起きるのは私のほうが早くて、お散歩いくよーって起こす毎日だったんだけど、この日はあゆが起きて、トイレに向かい、フラフラしてトイレまで行けずに途中でへたり込んだ。

ごはんも食べないので、かかりつけ医へ。
フラフラしてた、ごはん食べない、を伝えて、血液検査。
CRPという炎症反応の数値が高い。でもその他は異常値なし。なんだろう、と。
レントゲン。内蔵にも骨にも異常なし。

しいていえば、去年のレントゲンと比べると、少し気管あたりが狭くなっているように見える。でも咳とか呼吸器系の症状がないので、なんともいえない。
とりあえず炎症を抑える薬をもらって様子を見ることに。

少しずつ元気が戻ってきて、次の休日にはいつものように「お散歩いこー!」っていう顔をするようになった。
お天気もよくて、あゆも私も楽しくお散歩。

お散歩の後半、前脚を引きずり始めた。けどあゆ自身は元気。お友だちを見つけると、いつもどおりの足取りで挨拶。
家に帰ると前脚をつけない様子で、前脚を浮かせたままの格好。痛い、と叫ぶわけではないけど、明らかに様子がおかしい。

かかりつけ医でもう一度一通り検査。CRPは相変わらず高く、エコーで胸水が溜まっていることがわかり、もう一度レントゲンを撮り、胸のところに腫瘍があるかもしれない、と言われた。

部位的に、いいものができることはほぼない、と。少しだけ、覚悟する。

医療センターへ


CT設備のある病院へ連絡してもらい受診。
犬のCTは麻酔下で行うので、癌の可能性も視野に入れて、一緒に生検も行うことに。

ここまでで、異変から1週間くらい。

CTと生検の結果、レントゲンで診ていた場所の他に、心臓の近くにも腫瘤があった。
どちらも、正体ははっきりわからなかった。
生検したものの、壊死した細胞しか採取できずに検査ができなかったらしい。
心臓近くは、正体が分からない状況では出血する可能性も否定できず、心臓に近すぎるので生検するのは危険だと。

それと体調異変の直後から、腰に小さなできものがあることに気づいていた。ぷちっと、かさぶたかな?くらいの大きさ。
それが、日を追うごとに大きくなってきてた。
全身をCT撮影したのでこれも診てもらっていて、良性かもしれないし悪性かもしれない、という画像診断だった。

結論は出ていないけど、悪性の可能性もふまえて、がんセンターへの紹介を選択。
もう、確実に悪性だな、という感触。

がんセンター

ひととおりの検査結果を持ってがんセンターへ。
がんセンターでの所見は、

  • 画像所見と身体症状が一致しないので、診断まで至っていない状態と見受けられる

  • 今まで見てきた症例から、悪性の多発性の癌ではないかと予想している

  • 腰のところも大きくなるのが早いようなので、同じ類で多発している状態ではないかと考えている

  • 改めて麻酔下でのCT・胸部腫瘤の細胞採取を行う

  • 腰は皮下で取りやすいので、麻酔ついでに切除して、細胞診をする

  • 心臓の近くはおそらく同じ種類のものだと思っているが、前医と同じ見解なので触るのは危険そう。

1週間後、日帰りで手術と検査をした。
手術の傷が生々しい状態で戻ってきたけど、あゆは痛がる様子も傷を気にする様子もなく、症状は変わらず。


組織球性肉腫の診断

腰のできものと胸部の細胞診をした結果は、組織球性肉腫という、多発性の癌との診断。
組織球というのは、免疫系の組織らしい。
胸部、心臓部、腰部、すべて同じもの。つまり、多発している状態。

腫瘍がひとつなら手術して、更に抗がん剤をするのが一般的な治療。
治療をしなければ、数ヶ月の命だと。

覚悟はしていたので、冷静に聞けた。
「最優先は、あゆのためにどんな選択をするかである」という心の余裕もあった。

治療方針

選択肢は3つと説明を受けたけど、実際の選択肢はひとつだった。

①手術
あゆはすでに多発しているし、部位的にも命がけの手術になる、さらに心臓部は手術できないと思うので勧めない

②放射線治療
ピンポイントで照射するものなので、多発しているあゆにはあまり合わない治療法

③抗がん剤
効けば癌そのものが小さくなる。
ただし、経験上、たとえ直接効いて癌が小さくなったとしても、ずっと効き続けることはなく、ある程度のところで効果が緩やかになることがほとんど。
副作用は、白血球の低下と、肝機能障害。白血球低下は、そうなったら入院管理で感染予防、肝機能は検査しながら抗がん剤投与を進めるので、肝機能低下していたら投与タイミングをずらすなどの対策ができる。

今のあゆの選択肢は抗がん剤だと思う、と。
説明を聞いている途中から私の選択肢も決まっていた。
抗がん剤。

劇的に小さくなるとは思わないものの、一日一日を大切に、穏やかに過ごせることを期待しての選択をした。
ゆっくりでもいいからまたお散歩したり、お友だちとピクニックしたりできたらいいな、と。

いつもの朝じゃないちょっとした異変から1ヶ月。

抗がん投与

抗がん剤は飲み薬タイプ。3週間おきに投与のスケジュール。
病院で投与して、数時間だけ様子を見てから帰宅。特に異変も何もなし。
相変わらずだるそうで元気はないけど、ごはんもちゃんと食べてくれた。
白血球低下が一番危険なので、毎日家で体温と呼吸と心拍測定。肛門で測定する体温は測定完了前に逃げられちゃう事が多くてだいぶ苦労したけど、高熱にはならずに1週間が経過。
(かかりつけ医に定期的に通っていて平熱を把握できていたのはよかった)

白血球低下のピーク、投与後1週間のチェックは、がんセンターが遠いので近くの医療センターで。
血液検査したら、白血球が低いどころかほとんどない。
担当医が「数値にびっくりして顕微鏡を確認したけどほんどになかった」と。
即入院。白血球を増やす薬を投与して酸素室に。

抗がん剤の効果

感染症など白血球低下の影響は幸い出ず、徐々に白血球も増加。
入院から通院に切り替え。

白血球がほぼなくなるくらい副作用が出ていたから、癌にも効いてると期待してた。
でも違った。癌は大きくなっていた。
強すぎだろ、癌よ。

あゆは、だんだん動ける範囲が狭くなり、トイレにも間に合わなくなった。
ごはんもほとんど食べなくなった。

最期の日々

抗がん剤が効かなかったので、延命治療もできなくなった。
ごはんもおやつも、唯一食べていたホットケーキも食べなくなって、カテーテルで流動食。
むりやりがんばらせているのでは、と思うこともあったけど、病院に行く道中で立ち上がって外の匂いを感じているあゆを見ると、もうちょっとだけでも楽にしてあげたい、と思った。
少しでも体力を上げて、むくみと胸水を減らして穏やかな1日を過ごさせてあげたい、と思った。

毎日、日帰り入院して投薬治療していたけど、病院と家では吐かずに食べる流動食の量がはるかに違っていたし、きっと、意味のあることをしていると思った。

全く立ち上がれなくなってから2日後くらい、あゆは亡くなった。

お外を感じながら病院に向かうあゆ
40分くらい立ったままだった

亡くなったときの様子は別で書いてます。
https://note.com/7kilogram/n/na9599d34451d



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